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おっさんずラブが証明したのは「誰しもオタク気質を持っている」ということだ

「春田のネクタイを、牧がしてる…尊い…」

と、おっさんずラブ推しの友人から連絡が来たのでわたしはもちろん発狂した。このドラマ、どこまで尊いのでしょう。この場合の尊い、の意味はオタク用語なので、まずそこから説明しておこう。

尊い:「萌え」を通りこした、ある種信仰心のような崇拝感情。価値の高さははかりしれない。尊さ、尊み、と活用される。基本的に、推しは「尊い」

まずはじめに言いたいのは、普通そんなところまで見ない。ドラマの中でネクタイを共有するシーンがあるわけではないのに、「ドラマ」と「インスタ」など、全てを追ってその事実を発見してきているのだ。

そういう現象は「アニメ」や「アイドル」といったオタク文化が根強い界隈では、よくあることだ。(ちなみにわたしもミーハー寄りのとあるオタクであるわけだが)その現象がドラマで起こったということは、一種の社会現象と呼んでも過言ではないはずだ。

ちなみに牧春を推しているひとたち全員が「恋愛形態の多様化を受け入れきったからこのドラマを推している」わけではないと思う。ましてや、もともとBLが好きだったからこのドラマにハマったひとのほうが少ないだろう。

恋愛感情というものは、ときに狂気的だ。熱量も、もちろんすごい。愛のかたちはいろいろあることをみんな受け入れていながらも、心のどこかで「恋愛は男女」というスタンダードはまだ消えきっていない。それが正義なのではなく、大多数だからである。

だからこそ、「同性同士の恋愛」というものは、「生半可な気持ちではできない」というところまで簡単に推測できる。

つまり愛の「深度」がこのドラマの本質に存在しているからこそ、ドハマりするひとたちが大量に現れたのだ。そしてそれをわたしは今回「オタク」と定義づけている。

人気俳優が恋愛ドラマに出ると、そのヒロインを嫌がるファンも多かった。

でも今は、むしろその恋の相手との幸せを祈り、もはやそのカップルを崇拝する域に達している。うまくいかなくなるとおそらく本人より落胆が目に見える。これをオタクと呼ばずしてなんと呼べばいいのだろうか。

牧春と呼ばれているけれど、(攻めが左、受けが右)だからこそ春牧なシーンがたまにあるゆえにファンは
「もう無理」
「尊みが過ぎる」
「口座どこ?課金させて…」
と、オタクをこじらせてゆくのである。ギャップ萌えとかいう次元ではない。

散々オタクという言葉を羅列してきてしまったが、オタクは正義である。基本的に推しがなにをしても「肯定」し、課金して世界をまわしていく。愛の深さというものは、これほどまでに人類にも世の中にも利益を与えていることを証明している。

もちろんその分、推しに何かあろうことなら誰よりも落ち込んでしまうのだけれど。その不安定すら「愛おしい」と呼べるトップ・オブ・オタクなるものになればこの世は平和。推しがいる世界は超楽しい、私が断言する。

というわけで、おっさんずラブはファンクラブなるものをつくり、ぜひファンという名のオタクたちに課金できる環境をつくっていただきたい。推しが豊かになることを、ファンはただひたすら祈っている。

回を重ねるたびに、どんどんオタクみが激しくなってゆく…本日も牧春は、尊い。

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