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あの人のつま先


彼らはいつになったら、世界につま先を向けることができるのだろう。

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ギャップ、という言葉が蔓延りすぎたのかもしれない。落として上げるとか、がっかりさせて期待を上回るとか。間違っていないことだってあるし、たくさんのガイドラインができたおかげで生きやすくなった。一方でそこに記載されていないルールは破っていいでしょう……なんて思考を、どこかの瞬間で生み出してしまったことを認知しなければならない。

物事はすべて表裏一体。ただ、明らかに良くない裏切りを、それが嘘だとわかって喜べる人間はその人のことを「好きだ」と信じている人だけだ。その仕掛けを凄いと評価し、それから好きになる人はほとんどいないと思う。恋は盲目理論を、全世界相手にしてしまっていいのか。良い世の中になってしまったの?


昔、わたしに好意を伝えてくるのに体がこっちに向いてなくて、つま先すら向かなかった人がいた。好意自体はありがたかったけど、違和感しかなかった。発する言葉も綺麗だったけど、全然惹かれなかった。

本当に伝えたい、嘘のない気持ちなら気持ちも、体も、つま先だってこっちに向いていたはずだ。緊張云々ではない。

素敵な言葉を並べて、好意を伝えられる自分が好きなんでしょう。わたしを好きだという自分に酔っているんでしょう。と言うと、それを見抜くからきみが好きだ、とその人は言った。

全然、嬉しくなかった。

相手を喜ばせるために、考えて、仕掛けを作って…時間をかけることは、ときに素晴らしい。でもその過程で必要のない嘘を交えて、誰かを傷つけていいなんて、いつ習ってしまったのだろう。いつ、そんな思考を生んでしまえる世の中ができてしまったのか。

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それがマイ・ウェイ、というなら仕方ないかもしれない。でも、つま先をまっすぐに向けて相手に話して、伝えられないというのは悲しいことだ。なんて、わたしは思ってしまう。

ただ、突き放す気持ちはあまりなくて、どうしてそうなってしまったの?と聞きたい。なにを思って、そう行動したの?と対話したい。それは、わたしたちだって、誰かをそういう感情にさせている可能性があるからで、それが社会というものだからで。

なんだか、すごい一週間だったな。不必要な裏切りが蔓延る世の中になりませんように。

読んでくださってありがとうございます。今日もあたらしい物語を探しに行きます。