八百万の神のシンギュラリティ論5 ロゴスが、超越神を解析可能にする

-ロゴスが、神を解体し、神を再創造する物語- 

(※ 今日も、表紙は、井坂教授の作品。井坂教授の新宿伊勢丹個展がもうすぐ)

もう、今年の半分は終わった。

私の携わっている、neten社の今年の主要な開発の仕込みも終わっていて、ここからは、冬に向けて、潜っていく。つまり、深く研究していくフェーズに入っていく。

そして、来年の春に、また、雨後のたけのこのようにプロトタイプが生まれていく。

このリズムは、6,7年前から変わらない。

どうしようもなく、そこに引きずられるから、そもそもそこに合わせるようにしている。

気がついたら、地球が太陽を中心に惑星間を縫いながら回る回転とシンクロして開発していて、その遠心力とシンフォニーを感じだしたら、そこが心地よく、それを力にして、開発している。

開発したテクノロジーやプロダクト、ソフトなどが世にでるのは、場合によっては数年先になるか、お蔵入りするので、表から見るとそうはなっていないわけですが、実情の開発エンジンはそのように回転している。

とくに、そうしようと頭で考えたのでもない。

15年ほど前に、西表島の原生林ジャングルに住んでいたときに、暇で毎日、星を見ていた後から、太陽系、すくなくとも、太陽、地球、月の動きが作り出すリズムに脳がシンクロしだしたのがきっかけで、netenに10年ほど前にきたら、そうやって、会社が回っていたことが重なって、今となっては、そのシンフォニーであり、力学(遠心力、重力、慣性の法則などなど)に、私の命を預けることで、なんとかクリエイティビティを維持して、生きながらえているというありさま。

日の出とともに起きないと、調子が狂って、満月と新月のリズムが、調子の上げ下げを決めている。

今も、明後日の満月に向けて、ざわめきの中で何かが満ちようとしている。

「お天道様に顔向けできない」というのは、日本人の哲学であり、宗教観、神観、精神性、を見事に表現した言葉ですが、ひっくり返せば、「お天道様に顔を向けている」というのが、もっとも効率的な生き方なのかなと。

そんなことを感じていたら、杉山開知さんと出会って、地球暦アプリを作ることになった。

太陽系のシンフォニー、バイブレーションと、ロゴスの働きを統合して、創造性を高めることができるプラットフォームになればいいなと。

おそらく、こういった状況なので、来年の春から再来年の春に、アウトプットがあるかと。


1.思考が生み出す全知全能の神

どれだけ、科学が発達しても、世界は、未知の領域で覆われている。その未知に、知の光をあてることで、既知となる。

その知の冒険が、人類の歴史だったと言える。それでもなお、広がる、人を超えた領域の「知」。

その「知」は、人知を超えているが故に、「神の領域」とれてきた。そして、そこに全知全能の神を、古今東西の人類は見てきた。

全知全能の神は、思考が、必然として論理的に導き生み出すもの。

現代でも、ファンタジーとして、エンターテイメントとして愉しまれる全知全能の神。

その「神の領域」の表現方法が、日本の場合は、一神教とも多神教とも違う、独特なものとなる

けれども、人知を超えた領域を、意識の中で補うための「全知全能の神概念」を保持していることには変わらない。

それが「分散して」保持されている、日本の神観。

2.全知全能の神を分散保持させるロジック

その象徴としての「八百万の神」「惟神(かんながら)」の概念。それは、超越存在である全知全能の神を、八百万の神に分散させ、さらに、人(つまり、世界認識する主体である一人称の私)にさえ、神を分散させ、まるで、超越でも何でもない、そこら辺に、ころがっているようなものにまで、全知全能の神の概念を落とし込む技術

AIという圧倒的な全知全能の神のイメージも、各コンピュータからデバイス等に(八百万以上)分散させ、それ(AIを搭載したコンピュータ)を自在に操る神としての私(ユーザー)と捉えるなら、AIの神もまた分散して保持される。

そのロジックの裏には、「すべてを創造したもの」の存在を、論理的に確定できない、というロジックがある。

「創造主」がいたとして、その創造主がすべてを作ったとしたら、その創造主を作ったのは誰か?という問いに論理的に回答できない。そうして、循環論であり、鶏と卵問題に、思考が落ちてしまい、無神論化する。

けれども、人知を超えた領域が存在することもまた、論理的に否定できないから、そこに論理的に道儀軌出される「全知全能の超越神」の概念を、この循環論に陥らずに、論理的に思考に落とす込む必要がある。

そを可能にするのが、この日本という国の宗教観であり日本人の精神を、神道を軸に、縄文の時代より、ブレることなく、安定させてきたエンジンである(と私が考える)、この八百万の神と惟神(かんながら)の分散型のロジック

この概念装置を使うことで、全知全能の神は、私でもあり他者でもあり、また、すべてのものの背後にも宿るものであり、それらが、分散型システムとして自己組織化することで、この世界が稼働していると理解される。

そのことが理解されれば、私が、このシステム全体と同期さえすれば、全知全能の神となって、世界を創造できるという妄想もなりたつ。

けれども、そのシステム全体と同期するには、分散型システムであるゆえ、自己を分散させて同期させる必要があるが、そこには、限界が存在するゆえ、難しい。それを実現するには、私を捨て、自我を捨て、仏教で言う空の状態になるひつようがある、うんぬん、思考が展開する。

なので、AIという象徴から落ちてきたシンギュラリティの周りをただよう「観念」は、このShinto3.0、4.0とアップデートした、そのアイディアによって、確実にストロークし、その病的イメージを消し去ることができるはずなのです。

書いていて、一気に熱くなってしまいました。。

神話の話を、現実と接続することに違和感の有る方もいらっしゃると思いますが、そこをつなぐと、思いもよらないアイディアが降ってきて、意識のOSを更新するきっかけとなると思っていて、私たちの日本人の神話である古事記や日本書紀の概念を使って、概念アップデートを図るShinto4.0プロジェクトに注目してほしいと思います。

3.「フトマニ」という次元宇宙コンピュータ

さて、八百万のデータは人間の情報処理量を超えているため、AIなどのように、データの処理はアルゴリズムによって行われるのであろうと。神道(とくに古神道)でいう幽顕の幽の世界にあるとされる「フトマニ」は、まさにこういった、先ほどの、分散型の創造システムを、意味している。

そう、とてもたくさんありながらも、それぞれが独立して、自律分散化して働く概念装置としての神を、全体として機能させている、アルゴリズムと、そのデータを保管するデータベースが、もしも、宇宙がシステムであるならば、存在するであろうと、まあ、それを「フトマニ」とよぼうぜ、という話なのです。そういった話なのです。


4.神秘を超えてロジックで神を観る

ちょっと、ここで話が変わりますが、神というものは感性で捉えられがちですが、そういった探求をしてきたものとして、そこを「感性のみ」で捉えたら、もったいないと思っています。

感性で処理できる情報量には限界があって、ロジックの構造をキメて、その土台の上に、情報が自在に創造される装置を置くと、情報量は無限になると考えています。必要があるのです。

その時、感性は、その装置が生む情報量を捉える受信機としてやくだつ。

感性は定量的なものを超えた定質的なものを捉える。

神をデータや論理で捉えることができない、という思いがある一方で、神というものが完全にデータ、論理として捉えられるものでなければ、神の働きを生んでいる階層におけるロジックがないことになります。

ロジックがないのに存在しているもの。

それは存在しないと、私は考えています。

聖域なく、すべてに、いかにロジックをあてていくか。つまり、神秘を超えていくのか。その努力を失ったとき、すべては、神秘の世界へと舞い戻ります。

一点でも、その余地があれば神秘なのです。科学者が、一方で、神秘を語ったなら、すべてのロジックが破綻するのです。

神秘は、人間同士で、理解できる人理解できない人が生まれます。なぜなら、神秘的な世界の体験は、その人個人の体験でしかないからです。

ロジックになって初めて、誰しもが学習すれば理解可能なものになるのです。

その努力を失うと、元の木阿弥。すべてにおいて、科学できなくなるのです。

神というものも完全なデータや論理として、それをロジカルに捉えられるはずです。

前述のように、神概念は、人知を超えたものが存在する以上、自動的に人間の意識、思考に生み出されるものというのもヒントでしょう。

それが、「ロゴス」です。そして、神秘は存在しないのです。

もしも神の階層に神秘を置くのであれば、こういった議論は一切必要ではありません。しかし、神秘を科学にすること、神概念を科学の領域に落とし込むことでテクノロジー化し、新しい未来を創造するのが現代人のフェーズであると私は考えています。

5.AIと八百万の神の名付け

https://note.mu/nanasawa/n/na0c1e98f414c

神概念自体も、八百万の神というキーワードをもとに、データとして捉える試みをしたいのです。これはAIの考え方に極めて近くなります。

ここで一神教的な捉え方をすると、八百万のデータを操る存在、つまりアルゴリズム自体が神である、という一神教的なデータ神という概念が生まれます。

しかし、そこに立ち現れた概念一つひとつに名が付くことで神となる、とするならば、それは神道的な神概念にも通じてきます。

その場合、一神教的にはデータ神とみなされるアルゴリズム自体にも名付けが起きます。

「『八百万の神を生む働き』を司る働き」に、「すべてを生み司る神」と名付けるとしましょう。こうして「すべてを生み司る神」が存在し、すべてを生み司るわけですが、その神の働きの中にもまたいくつもの働きがあり、それぞれに神が分解されて存在します。

そのときに、「全体がこうなっている(すべてを生み司る神がすべてを生み司っている)」と言うことができたとしても、その全体を名付けた瞬間に、全体以外のものが必ず発生します(すべてを生み司っている神を司るものはいないのか?)。よって、永遠に一言ですべてを言い表すことはできません。

限りなく一言で言い表されている、という存在に至ったとしても、必ず漏れたものに対して名付けが発生します。では二言で言い表せるかと言うと足りず、またもう一言、というように漏れた言葉は次々に生まれてきます。

2で表現するよりも3で、3で表現するよりも4で、5、6…といくにつれて、すべてを表しているような形に近づくわけですが、それでも足りません。では八百万あれば足りるのではないか、ということで八百万の神ということになるのですが、実は八百万でも足りません。

データは無限にあり、それに対して名付けをし続けること、つまり神概念を創造し続けることで、神概念に近づく、と言ったほうが近いわけです。

そのため、何かひとつの神というものが存在するというわけでは当然ない、ということになります。

そうして生まれた神々(データ)に対して、現実的にはそのデータをうまく使うことがポイントになってくると考えています。

つまり、すべてを統合する神という概念自体が存在しないので、個々の神それぞれが等しく全体をも表現しているということになります。

ひとつの神をしっかりと把握するだけでも、全体に通じていくというのも、神道的な神概念、日本的な感覚に通じます。

6.神を分析可能にするもの

神々の一つひとつをデータとして名を与える(結合プロセッサー)ことで、それが分析可能になります。

例えば、「土」について考えてみると、「土」という言葉が指し示す概念があり、「土とはこうである」というその働きがあります。

「土」という言葉で名付けることによって生まれた概念が存在します。

名付けられた概念が示す概念構造が、ベクトル量やスカラー量を持って言語空間・意識空間上に展開します。

それは現代の数学では表現しきれないものですが、一つひとつの概念が構造を持っているわけなのです。そのため、「窓」「扉」「壁」…という概念の構造が頭の中で計算されるのです。

それぞれの名付けられた概念は計算・コード化が可能で、脳の中にプロット可能なものとして存在しています。そして、データドリブン、データサイエンス、データ分析が可能なものとして位置づけられるのです。

そのことをもしもVRでヴァーチャルに体験することができれば、おそらくこういった神概念がきれいにインストールされるでしょう。

その計算の最小単位として、ロゴスの最小単位である「ロゴストロン信号」を想定しているのです。

それは、時空が織りなすこの四次元時空間を規定する時間軸自体に情報をプロットするもの。

つづく。


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