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スクラップブックみたいな文章を


私の文章って、スクラップブッキングみたいだなぁ。と、ふと思った。
スクラップブッキングというのは、写真とか、旅のチケットとか、レシートとか、パンフレットとか、お土産の包装紙とか、そういう思い出の品々を切り貼りして、一つの作品に仕上げたもの。アルバムの一種……かな(実際に作ったことはあんまりないけれど)
メッセージを添えたり、シールでデコレーションしてみたりとかも。
ページを開くと、その時の記憶が鮮やかによみがえる。


年末から年始にかけて書いたサカナクションのライブレポを自分で読み返していたら、自分の文章ってまるでスクラップブッキングのようだなぁと気付いた。

テキストのみでも表現できなくはないけれど(音楽文とかテキストのみだったよね)、公式MVを貼り付けたり、アーティストのツイートを埋め込んだり、今回だったらイラストも添えてみたりと自由にやってみた結果、スクラップブックっぽさに拍車がかかったのかもしれない。

私がよく文章の中にTwitterの埋め込みや外部のリンクを載せるのは、出典を明確にするという意味合いもあるけれど、私自身が忘れたくない、大切にとっておきたい、また何度も見返したい……そういう思いもあってそうしている部分も大きい。
何もしなかったら、あっという間に埋もれて探し出せなくなってしまうことが多いから。

Twitterのブックマーク機能は?と思われるかもしれないけれど、私のブックマークは本来のブックマークとして機能していない(余裕がないときや疲れて文字が頭に入ってこないときなど、とりあえず気になったツイートは片っ端から「あとでゆっくり読む」感覚でブックマークしていく)ので、2〜3日も経てばさかのぼるのが難しくなってくる。
だからこその、ブログやnoteでの記録なのだ。

今回に限らず、私が書く文章ってそういう文章が多い気がする。
忘れたくないこと、大切にとっておきたいこと、記憶と記録を切り貼りして、感じた思いを添えて、少し装飾もして。自分にとっての宝物を詰めるだけ詰め込んだみたいな文章。
言ってしまえば、自分のための文章。自分だけの宝物みたいな文章。
それでも、そんな私の文章を読んで「いいね!」「スキ」って思って(伝えて)くださる方がいる。なんて嬉しくて、ありがたいことだろう。

書いて、残すことができてよかった。そう思える文章が書けたと自分でも思う。
時が経てば忘れてしまうような些細なことまで詰め込んだからとても長いし、1回読むだけでもかなりの時間がかかってしまうんだけれど、「本当に楽しかったなぁ」って思いながら読み返しては余韻に浸っている。

ライブレポではあるけれど、とっても個人的なアルバムのようでもあるかも。
書いてるとき、楽しかったんだよね。
完成形をイメージしながら、毎日少しずつ、ワクワクしながら書いていって。
思い出はそのままでも美しいけれど、切り貼りしながら時に悩みながら作り上げていったその作業自体が文章への思い入れを深めていく。
かけた時間や思いの分だけ、特別になっていく。


「きみがバラのために費やした時間の分だけ、バラはきみにとって大事なんだ」

サンテグジュペリ著/『星の王子さま』より

先日読んだnoteにハッとなって、『星の王子さま』を久しぶりに読み返したくなった。

もしかしたら、覚えている人もいるかもしれないけれど……
私のTwitterのヘッダー画像は、今の画像になる前は長らく『星の王子さま』だった。

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※いっしょに写っている透明なリボンは、『目に見えない障害バッジ(啓発用)』です。詳しくはこちら

『星の王子さま』を初めて読んだのは高校生のときで。当時たまらなく感銘を受けた私は、もう一冊同じ本を買い、それをある人にプレゼントした。
どうして、その人にこの本を贈りたいと思ったのだろう。
理由は単純だ。そして、当時の私はとっくにその答えを知っていたのだろう。
その人が私にとって「特別な人」だったから、だと。
どうして、その人は私にとって特別になったのか。その理由こそが、この本で作者が伝えようとしたことのひとつだった。

『星の王子さま』はいつしか読み返すこともなくなって、内容も自分が何に感動したのかもほとんど忘れてしまって、「とても感銘を受けた」という事実だけを抱えて生きてきてしまった。
でも、一度心からのめり込んだことやものには、また何かしらのタイミングで巡り会えるのだから生きてると面白い。

特別がどうして特別なのか、うまく言葉にできないことが多い。
気付いたときには特別になっていて、今さら言葉にもできなくて、むしろ理由を明確にするのは野暮なんじゃないかとさえ思っていた。
でも、単純なことだった。
真剣に向き合った時間や思いの分だけ、その人やものは大切で、特別で、かけがえのない存在になっていくんだ。
そっか、そっか、そうだった。

私が私のために時間や思いを込めて書いた文章だって、私にとって特別な宝物。
「自分だけの宝物」はそれだけでもとっても美しくて尊いものだけれど、そこに新しい価値や輝きを与えてくれるのはいつだって読んでくれる人の存在だ。
そして私自身も、好きなことやものについて語る人や、そういう人の話がとても好き。
宝物を眺めるみたいに語る表情や、それが滲み出た文章は魅力であふれているから。

だから、今日も読んでくれてありがとう。
見せてくれてありがとう。
あなたの「宝物」も、あなた自身も、私にはとてつもなく尊いんだ。

私も、誰かの「宝物」に「それいいね!」って言い続けていきたいし、これからもスクラップブックみたいな文章を(もちろんそれ以外も)書き続けていきたい。


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