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『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』は「ネタアニメ」ではない。

・その「きっかけ」について

『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』を観た。
今日はその話をする。

傑作でした。

くわしい感想を語るまえに、なぜ僕が2014年の本作をいまさら観るにいたったかの経緯を述べておく。

ひと言でいえば、「水樹奈々が主演だから」である。
主演、主題歌いずれも水樹奈々が担当し、そしてキングレコードが製作に参加している(サンライズとの共同製作)。

しかし、同時にぼくは「水樹奈々が主演だから」という理由で、これまで本作を観ずに放置していたともいえる。
あくまでこれはぼくの基準にすぎないが、水樹奈々が主演・主題歌を両方担当している作品は、「あまりおもしろくない」というジンクスがあった。

ここで具体的な作品名をあげることは、とうが立つので控えておくが、毎週欠かさず視聴するほどの熱量を持てる作品は決して多くはなかった。
そして、『クロスアンジュ』もまた、これまでの「傾向と対策」を踏まえて、あらかじめ視聴を見送っていた――とまあ、そんな経緯である。

そして同時に、周囲の――いってしまえば、オタクたちから漏れ聞こえてくる『クロスアンジュ』評の不真面目さ(いわく下品、いわくネタ、いわくギャグ)に、ますます作品を避けるという悪循環が生まれていたわけだ。

しかし、結論を先取りするようだが、最終話まで視聴したうえで、ぼくは以下のような感想を抱くにいたった。

すわなち、『クロスアンジュ』における「不真面目さ」は、ただただSNS上のウケを狙っただけではなく、作品世界のハードさを示す「描写」の役割もまちがいなく備えていた。つまり、必然性があった

この点をあきらかにすることが、本テキストの執筆意図であり、のちに詳しく触れるポイントだ。

そんなこんなで視聴を避けていたわけであるが、ちょうど昨年、『スーパーロボット大戦V』をプレイしたとき、本作でスパロボに新規参戦した『クロスアンジュ』を観て、興味を持ったわけである。

※5:10~より『クロスアンジュ』

たしか発売前のプロモーションの段階でも、水樹奈々がスパロボ関連のイベントに出演するなど、注目度は高かったように思う。

実際、ゲームをプレイしてみると、『クロスアンジュ』はシナリオ面でも、機体性能面でもたいへん優遇されていた。

スパロボ未プレイ者のために説明しておくと、「シナリオ面での優遇」とは主に、「アニメのエピソードの原作再現がたくさん行われること」を指す。

『クロスアンジュ』の例でいえば、第1話と最終話のいろんな意味で「過激な」あのシーンもきっちり再現されていたはずである。

わかりやすい図があるので引用しておく。以下は『スーパーロボット大戦V』のなかで、『クロスアンジュ』のどのエピソードが再現されたかのまとめである。右の「『V』〇〇話」がゲーム内の再現位置だ。

第1話 堕とされた皇女 『V』13話
第2話 まつろわぬ魂 『V』14話
第3話 ヴィルキス覚醒 『V』14話
第4話 ひとりぼっちの反逆
第5話 アンジュ、喪失 『V』15話A
第6話 モモカが来た! 『V』16話A
第7話 サリアの憂鬱 『V』17話A
第8話 ビキニ・エスケイプ 『V』30話
第9話 裏切りの故郷 『V』30話B、

第10話 絞首台からサヨナラを 『V』30話B
第11話 竜の歌
第12話 右腕の過去 『V』31話B
第13話 武器工廠アルゼナル、炎上 OP・ED変更 『V』32話B
第14話 アンジュとタスク 『V』31話B
第15話 もう一つの地球 『V』32話B
第16話 共鳴戦線 『V』32話B
第17話 黒の破壊天使 『V』35話
第18話 決別の海 『V』37話C

第19話 時の調律者
第20話 神の求魂
第21話 遺されるもの 『V』37話C
第22話 Necessary 『V』38話C
第23話 ゆがむ世界 『V』38話C、50話
第24話 明日なき戦い 『V』38話C、50話
第25話 時の彼方で ED変更 『V』50話

(引用は「スーパーロボット大戦Wiki」より)

おわかりだろう。
ざっくり『クロスアンジュ』のストーリーラインをたどれるようになっている。それで興味を持ち、遅ればせながら作品を全話視聴することにあいなった。

・その「過激さ」について


さて、『クロスアンジュ』の話をしたときに、まっさきにあがるトピックが作品の「過激さ」である。「エロ」も「グロ」もなかなか強烈の味つけで視聴のもとに供される。

作品にならってあえて下品な表現を使うならば、「乳とケツと鮮血」が画面に横溢している。

以下、友人の水樹奈々オタク・むーぐさんのおもしろい証言があるので、引用しておこう。

まあ、気持ちはわかる。

なぜなら、『クロスアンジュ』は煎じ詰めれば、水樹奈々が演じる・アンジュが徹底的にひどい目に遭う物語であるからだ。
つまり本作を観て、不快感を抱く水樹奈々ファンがいても、それはなんらおかしなことではないし、ともすればそれは、製作者の意図どおりということになる。

そして、エンターテイメントの残酷な真理として、「主人公がひどい目に遭えば遭うほど、物語はおもしろくなること」が指摘できる。この点について語った、日本のエンターテイメント小説のトップランナーである大沢在昌の言葉をひいておく。

面白い小説というのは、ミステリーであれ、恋愛小説であれ、どんなジャンルの小説でも、主人公に対して残酷です。主人公に優しい小説が面白くなるわけがない。『ロミオとジュリエット』はまさに典型で、主人公たちに残酷なすれ違いがあるからこそ、あの物語は面白いんですね。
(中略)
主人公に残酷な物語は面白い」。これ、テストに出ます。絶対に覚えておいたほうがいい。残酷であればあるほど、主人公が苦しめば苦しむほど、物語は面白くなる。

(大沢在昌『小説講座 売れる作家の全技術』より)

『クロスアンジュ』は肉体的にも精神的にも、主人公を徹底的にいじめ抜く物語であり、誤解を恐れずにいえば、その意味で、エンターテイメントとして大変におもしろい。

さらにそこに、メタ的な視点を持ち込んでみよう。つまり、「『苛められるヒロイン』を押しも押されぬスターで、なおかつ優等生的なイメージを持つ水樹奈々が演じている」という点が、ますますおもしろい。趣味のわるいはなしだ。

だからこそ、その点にオタクの拒否反応がでるのもまた、むべなるかなである。

・その「プロット」について


では、『クロスアンジュ』はただ、主人公を苛めるサド趣味だけの作品なのか。

否である。

ぼくは『クロスアンジュ』は大変計算された――なおかつ、物語作法に忠実で、なおかつサプライズに満ちた作品であると判断する。

そのことを見ていくまえに、公式ホームページよりあらすじをひいておこう。

高度に進化した情報技術「マナ」を手にした人類は、その魔法のごとき力で、戦争、飢餓、汚染など地球上のあらゆる問題を克服。ついに平和で何不自由ない理想郷を手に入れた。

「ミスルギ皇国」の第一皇女・アンジュリーゼ。彼女もまた、何不自由なく、民から祝福を受け、冠を戴くはずだった。しかし、彼女は己が「ノーマ」であるという事実を突きつけられる。「ノーマ」――それはマナが使えないイレギュラー、反社会的な人ならざる「モノ」。

全てを奪われた彼女は、僻地の基地アルゼナルに隔離される。そこで待ち受けていたのは戦いしか知らないノーマの少女たちとの出会い。変形人型兵器「パラメイル」のライダーとして、次元を超えて侵攻してくる巨大攻性生物「ドラゴン」を狩る日々だった。(後略)

(引用は公式HPより)

補足しておく。

「マナ」はざっくりいえば、「魔法」である。そして、この世界では「マナを使える人」が「人間」と呼ばれ、「マナを使えない人」は「人間」ではない。彼らは、「ノーマ」として差別され、隔離される。

そして、あらすじを読んだだけで、勘のいい読者ならお気づきかもしれないが、『クロスアンジュ』は、貴種流離譚である。それも、かなり極端な形の。

貴種流離譚は物語の類型の一種であり、「尊い身分の人間が試練を乗り越えたうえで、真に英雄になるまでを描いた物語」のことだ。

いちおう、辞書的な意味も確認しておく。めんどくさい人はざっくり読み飛ばしてもらってかまわない。

 説話の一類型。幼い神や英雄が、種々の試練を経て、動物の助け、知恵の働き、財宝の発見などによって艱難を克服して神となったり、尊い地位につくというもの。この試練を経なければ尊い存在になれなかったと説く型で、文学作品や口承文芸に重要なモチーフとなっている。代表的なものに大国主命、山幸彦、神武天皇、日本武尊等の説話、あるいは「源氏物語」における光源氏の須磨流謫(るたく)の条がある。
(『精選版 日本国語大辞典精選版』より)


もともとは民俗学の用語で、『古事記』のスサノオ神話なども貴種流離譚のひとつであるとされている。では、『クロスアンジュ』をあらすじをあらためて、貴種流離譚の類型として整理してみる。

もともと、「ミスルギ皇国」の第一皇女という”尊い身分にあった”アンジュリーゼはある日、マナが使えないことが理由で、その地位をはく奪される。そして彼女は文字どおり、絶海の孤島――アルゼナルへ”流離”される。そして、そこで「アンジュリーゼ」という名前をはく奪される=アンジュになる。

アンジュリーゼが”島流し”になるのは、日本における流刑にあたる。ここで実際の本邦の歴史に目を向けると、”尊い身分”である天皇でありながら、鎌倉幕府を倒そうとしたばっかりに、隠岐へ”島流し”にあった後醍醐天皇のことを想起するのは、そうむずかしいことではない。

そして、後醍醐天皇の反乱は最終的に成功し、鎌倉幕府は滅びる。つまり、アルゼナルに流された不屈の皇女・アンジュが最終的になにを成すのか――それを予想することは簡単である。
つまり、あらすじの段階で、最終的な結末をある程度、予想することが可能なのだ。

つまり、『クロスアンジュ』は古来からある物語の類型――貴種流離譚を極めて忠実になぞった作品であるといえそうだ。

また、貴種流離譚からややそれるが、「名前を奪われる」というモチーフから、夢幻的なイメージで八百万の神々の世界を描いてみせた『千と千尋の神隠し』との類似にも目を配っておきたい。

ことほどさように、その過激な描写に惑乱されがちではあるが、『クロスアンジュ』は伝統的で日本的な作劇作法として、スタンダードな物語であると申し上げていい。

そして、アンジュがいじめられるのは、貴種流離譚が常に英雄たちへの「試練」とセットであったように、物語上の必然であった。だからこそぼくは、『クロスアンジュ』の「過激さ」をただただ、「下品だ」と切って捨てることはしたくないし、それはじゅうぶんに意味ある描写であると思うのだ。

・その「驚き」について


さて、ここまでで『クロスアンジュ』は貴種流離譚である旨を確認してきた。そして、一般的な貴種流離譚であれば、英雄は試練を乗り越え、あるいは自らを追放した肉親などに復讐を果たし、最終的に尊い身分に帰り着くことになる。

しかし、『クロスアンジュ』はそうではない。

ここが、本作のすごさのハイライトであり、貴種流離譚としてのオルタナティブであると指摘できる。

ここからは、物語の核心に迫ることになるのだが、中盤でアンジュは自分がかつて皇女としてもてはやされた世界が、偽物であったことを知る。
そしてその「偽物の世界」を守っていたのは、かつての自分が「人間未満の存在」と徹底的に見下していたノーマたちであることに気づく。

自分たちが生きていたこの世界は、あるひとりの黒幕がつくりあげた虚飾にすぎない。そして、ノーマが戦っていた「ドラゴン」たちは、「本物の世界」からやってきた「かつての人類」であった。

そしてドラゴンたちが襲いかかってくるのは、なにもアンジュたちの世界の人間に恨みがあるわけではない。彼ら(彼女ら)は、黒幕が仕かけたある狡猾なワナにより、「本物の世界」を守るため、やむをえず戦っていたことがあきらかになる。

ギリギリでネタバレを避けているので、ややわかりづらいかもしれない。
平たくいえば、アンジュが「」だと思っていた存在=ドラゴンは本当は「」ではなく、彼女が守っていた世界――かつて皇女としての幸せを謳歌していた世界こそが「」であったことが判明する。

世界の真実に気づいたアンジュは、公式のキャッチコピーにあるように、ひとつの決意をする。つまり。

「世界を壊して、私は生きる。」

そう、『クロスアンジュ』は貴種流離譚の類型をたどりつつも、最終的には高貴なる身分を捨て去るという、オルタナティブな決意について描いた物語といえる。

ことここにいたって、物語は神話的なスケールを帯びてくる。そしてその手がかりは伏線として、物語のいたるところにあらかじめ設置されていた。

その回収のうまさ――つまり、風呂敷の広げかたと畳みかたの見事に、ただただ驚かされる。

・まとめと「禁断のレジスタンス」について


長くなってきたの、そろそろまとめておこう。
『クロスアンジュ』は以下のような物語であるとぼくは考える。
すなわち。

貴種流離譚の伝統にのっとりアンジュに『試練』を与えつつ、最終的にその世界自体が欺瞞であったことをサプライズ的に解き明かす。そしてそれゆえに、「世界を破壊すること」を決意するひとりの英雄の物語。

それぞれの要素が絶妙なバランスで組み合わされた、エンターテイメントとしてしごくまっとうな作品。いってしまえば、極めて正統派の物語である。

その意味で、決して「ネタアニメ」ではない

これがぼくの、『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』の評価である。
すばらしかったです。

ということで最後に、主題歌を手がけた水樹奈々の「禁断のレジスタンス」を聴きながら、お別れしよう。

運命のlogicに踊らされた
虚夢の楽園
そこに、意味はあるのか?

これは、かつて自分が皇女として君臨した「嘘にまみれた偽物の世界」について歌っている。
そしてその直後、水樹奈々は今度はこう歌ってみせる。

この儚くも美しい絶望の世界で
砕け散った希望は 行き場を求めて
紅に染まる記憶に 涙など忘れて
高らかに捧げよう 永遠への歌を

「儚くも美しい絶望の世界」とは、アンジュたちがドラゴンと戦う孤島・アルゼナルのことだろう。かつての自分がいた「偽物の世界」と対比していることがわかる。

ふたつの世界を対比したあと、最後に水樹奈々――いや、アンジュはこう決意する。

生温い時間なんて切り捨て
(中略)
饒舌に空を舞うのも悪くない

そういえば、水樹奈々が演じたアンジュは、たいへんに饒舌で、おそろしく口のわるいヒロインであった。

(終わり)



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