今日はアファメーションに希望を感じる。

鬱上がりできつかった頃、気持ちが荒れてしまったり、落ち込んだりしてしまうのをなんとかしようと、気持ちを落ち着けるためのアプローチをいろいろと試した。

そのときにアファメーションをすすめられたのだけれど、当時は全然染み込まなかった。やっぱり身体機能が壊れていたからだなと今になって思う。身体のベースが整っていないと、そういう類の良薬は効果を十分に発揮しないように思う。


だけど今は、まだ不具合はあるものの、身体機能が当時と比べて安定してきて、今日は自分の向き合いたい課題にちゃんとフォーカスを当てられているし、それに対して客観視しながら意識を変えてみようとも思えたし、しまいには自分で自分にアファメーションを作ってみたりして、自分にとってなかなかいい流れだあと思えた。


その課題というのは、私は自分の考え方を人に押し付けがち、ということ。それが法則に反していると知っているので、表立ってそんなそぶりは見せないけれど、内心は押し付けたがっている自分であることに、ちゃんと向き合いたかった。他人に対して変に支配的になりたかったり、自分の考えが理解されないと癇癪を起こしてしまいそうだったり、そんな自分であることを客観的に自覚したかった。

そういう自分の癖は、いつまでもついて回るものだけど、今それを見つめておきたいという気持ちがあるのだから、向き合う必要があるのだろう。もっと笑って生きるために。もっと朗らかでニュートラルで、命を楽しむために。

やっぱり最初に大事なのは、優劣の判断基準を設けず、ただ、自分はそういう傾向がある、と見ることなのでしょう。その感覚を掴めるときは、本当に面白く、世界が広がるのを感じるので、結構好きだったり。でも私は掴むまでに、ものすごく時間がかかるのは…まあそれはそれでいいかな。

そうはいってもやっぱり自分は、人に考えを押し付けることも押し付けられることも本当は好きじゃなくて、でも育ってきた環境や周りや自分の考え方がそういう傾向になってしまっていたところは否めなくて、だからこそその事象をニュートラルにとらえたかったし、とらえたことで、自然と自分からアファメーションが出てきたりした。


「本来の私は、人に考えを押し付けるような性質ではない。人に対して支配的になりたいような性質ではない。」

という感じに。


なんだかそう思ったら、すごくほっとした。

なんだ、それは本来の私の、ひいては本来のみんなの性質じゃないんだ。

何かの加減でちょっとずつ何かずれて、残念ながらそれが苦しい形で表出しているだけのことなのかもしれない。

そう思うと、なんだかとても安心するのです。


自然と出てきたアファメーション(もちろん経路はありますが)からそんな安心できる希望を感じられたのは久々だったので、うれしかった。

何度か繰り返して、脳に定着させたいなあ。


この感じで、明日は一日過ごせたらいいなと。どうなったかは、明日の記事でお知らせ…できたらいいなあ。

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