[小説] ミス・グレンリヴェットの憧憬

「お久しぶりですね」

私たちを出迎えてくれたバーテンダーはそう言って笑った。

彼は微笑みでそれに応じ、私たちはカウンターの中ほどに座った。


座るとすぐに、彼はバーテンダーに

「ラフロイグ10年。ストレートで」

と言った。


バーテンダーは私の方を向き、

「いかがいたしますか?」

と聞いてくる。


「ええと……、初心者向けのってありますか?……ソーダ割りで」

「それでしたら、グレンリヴェットのソーダ割りはいかがでしょう?フルーティーなので、ウィスキーは初めてというお客様でも飲みやすいかと」

「では、それで……」

「かしこまりました」


--


六つ年上の彼とは、バイト先で知り合ったのだった。

職場で目立つタイプではないが、どこか余裕のある雰囲気の彼は、私の知っている男の子たちとは全然違った。

迷いなく私をエスコートするし、手を繋ぐときもキスをするときも、身を固くする間もないくらいスマートだった。


この日、終電がなくなる頃、

「店を変えて飲みなおそう」

と彼は言った。


私は「うん」と言いかけてやめ、「そうね」と返事した。


彼が私を連れていったのは、新宿三丁目の一角にある雑居ビルの三階。

BAR LIVETというお店。

どうやらウィスキーがメインのバーのようだ。


バーカウンター越しに二人のバーテンがいて、一人は私たちの目の前で氷を削っていた。

私はそれがなんだか落ち着かなくてそわそわしていたが、彼はとても居心地良さそうな様子でウィスキーラックを眺めていた。


--


それから間もなく、彼と私の頼んだものが出てきて、今日三度目の乾杯をした。


「君の飲んでいるのは、グレンリヴェットのソーダ割りだったよね」

「確かそう言っていたわ」

「気付いたかもしれないけど、ここのお店の名前も『リヴェット』なんだよね」


言われてみればそうだ。

彼の話によると、このバーはとりわけグレンリヴェットの種類が豊富なことが特徴らしい。

彼は話を続ける。


「それとね、ここのマスター。静谷さんって言うんだけどね。実は、グレンリヴェットは、現地の言葉で”静かな谷”という意味なんだ」


”静かな谷”と呼ばれるお酒を出す静谷さん。

なんだか小説のようだ。


もしかすると、と私は思った。

今こうして気持ちよく酔っていることも、人と光に溢れた新宿三丁目も、氷を削るバーテンダーも、すべては物語なのではないか?

上映中に三度も映画館へ足を運ぶほど好きだった映画のこと、最近凝っているエスニックの調味料のこと、アラスカで二十八年ぶりに見つかった新種の蝶のことなど、知性的な横顔で飽きのこない話をする彼の存在も、あるいは。


そう考えると、途端に自分だけがその世界から浮いてしまっているように感じて、背中がスッと寒くなった。


物語の街で、物語の彼と過ごす、物語の夜。

私は彼に釣りあっているだろうか。

私は、物語になれているだろうか。



「あなたはたくさんのことを知っていて……、すごいな、って思う」

私がそう漏らすと、彼は「なんで?」とでも言いたげに小首を傾げた。


「私も、お酒のことや映画のこと、そういった豊かな知識があったら。あなたの話に相槌を打つ以外のこともできるのかなって……」

私が消極的な笑みを浮かべると、彼は、

「持とうとして持つものではないさ」

と言った。


「君にも好きなものがあるように、僕にも好きなものがある。それだけだよ」


そして彼は、自分のグラスをこちらに寄せ、

「香り、嗅いでみて」

と言う。


鼻にグラスを近づけると、

保健室の消毒薬の匂いがした。


私が思わずグラスから顔を離すと、彼は、

「僕はそれが好きなんだ」

と言って笑った。


彼は、飾らない。

気取らない。

振りかざさない。


”静かな谷”のように、あるがままに。


私は、彼のラフロイグをほんの少しだけ舐めた。

アルコールの熱が、スモーキーな香りが、私の喉を、胸を、焼く。

私は一つ、小さく咳をした。


--


「じゃ、そろそろ行こうか」

彼はそう言い立ち上がると、「チェックで」と言った。


私は、

「うん」

と言う。


声が少し跳ねて、私は照れ笑いした。

彼は嬉しそうに私の肩を抱き、新宿三丁目の"静かな谷"を後にした。



今日のお店

BAR LIVET
https://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13165681/

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ナナシロ

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