見出し画像

気がつくと絶対防御の扉と鉄格子を選んでしまうので

取材も兼ねて、ワタリウム美術館のリナ・ボ・バルディ展へ。イタリア出身の建築家、サンパウロ美術館を設計した。そのダイナミックでユニークなデザインはもちろんのこと、各所にあるリナ氏の言葉がいい。

昨年、とあるクリエイター同士のトークイベントで、「誰も完パケは求めていない」という話があった。広告も作曲も、そこに必要なのは、"ツッコミどころ"だ、と言うのだ。毎度毎度、ツッコマれないような完璧な記事を目指して(自爆して)いた私にとっては、目からパラパラパラと鱗が無数に落ちた瞬間だった。バズる、炎上する、どちらにしたって私たちは自分の思慮や反論をはさむ余地のあるものを求める。つまるところ、そつなくこなすいい子ちゃんは、あまり面白くないのだ。

「記憶のための場所?それとも有名なミイラを納める墓?人類の遺産をしまっておくための倉庫?いいえ、そうではないのです。これからの博物館は、扉を開け放ち、フレッシュな空気と光を採り入れるべきなのです。」(リナ・ボ・バルディ)

リナ氏は、建築物に対して、閉鎖的な空間ではなく、ひとに能動的な行為を起こさせる空間であるべきだとした。処女作の"ガラスの家"などは顕著である。建築を、ひとを保護する箱庭的な空間だと考えていたら、この発想は生まれないだろう。あえて自分を危険に晒すこと、覚悟あるダイナミズムは、ひとの目を、心を、引きつける。

他人に対して排他的な、自分だけのユートピア、もはやこの存在が誰にも求められないことは明白なのだ。空間を開け放ち、多くの人がなだれ込む、それでいて崩れない、そんな強固な創作物を分かち合いたい。それにはまず、自分から扉を開け放つ勇気、そして覚悟が必要だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?