"出口のない恐怖"こそが「いっそ殺してくれ」を生む

ストレスは、その原因を突き止めた時点で80%解消している、という話を聞いた。つまりは、「なんで苦しいのかわからない」という恐怖こそが私たちの心を侵食するということなのだろう。

延々と続くトンネルは、その長さや暗さに恐怖があるのではない。果たして出口はあるのだろうか、という不安こそが私たちにストレスを感じさせ、恐れおののかせるのだ。

「漠然」こそが罪なのだ。のほほんと生きるためには、実は世界はあまりにもままならないことを知り、自分自身がいくらでも変容可能であることを直視し、そして両者の折り合いをつけていかなかればならない。ふんわりと見て見ぬふりをしているうちに、"ぼんやりとした不安"は私たちの心を蝕んでいく。

ストレスの原因の話に戻せば、私たちの多くは、実はその原因を知っている、と思う。突き詰めて言えば、結局のところ「原因を原因として認められるか」ということなのだ。多くの悩みは、実はとんでもなく些細で、認めたくないほどに矮小なものだ。「こんなことで悩んでいる自分」に悩みたくないがゆえに、私たちは自分自身にまでごまかしをきかせているのではないだろうか。

周囲の友人に合わせて「私も結婚したい〜」と嘆く女子の目は淀んではいないか。「俺にはこの仕事しかないから」と鼻息荒くする青年の顔は青ざめていないか。「好きでやっているんだよ」という自分の手のひらは汗ばんでいないか。

その苦しみを、今日で終わりにしてみないか。思い切り腹を殴られるような痛みがあるかもしれないけれど、それも一瞬だ。あざも1週間もあれば消えるだろう。自分をごまかし続けていれば、いつか腹の中は荒れ、二次災害が起こるだろう。誰かに胃カメラを突っ込まれてから気づいても遅いのだ。

痛がりの私は、気がつくと自分にまで嘘をついてしまうので。見栄は外にだけ張っていればいいのだ。


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