考えすぎちゃうひとにオススメのシュルレアリスム療法

私の思考回路はいつも「why」から始まる。例えば悪口を言われると、その言われた内容よりも、「なぜこの人は悪口を言ったのだろう」という疑問で頭がいっぱいになる。褒められたって同じだ。喜ぶよりも先に「なぜわざわざ褒めてきたのだろう」という疑問で頭がいっぱいで、心の底から浮き足立つこともない。そして、残念なことに真実は私の脳内にあるわけがないのだから、答えはいつまでも闇の中だ。我ながら難儀な性格だなあと思う。

今日は渋谷で仕事の打ち合わせがあったので、帰りにそのまま渋谷PARCOで開催している蛭子能収の大規模個展「新春えびすリアリズム」に行った。いまやバラエティで引っ張りだこ(?)のおとぼけタレントだが、元はといえば『ガロ』出身の漫画家。どの作品もどことなく救いのない不条理さがつきまとっていた。

昔からシュルレアリスムが好きで、特に一時期は好んで展覧会に足を運んでいた。あの時の私は、「無意味さ」に飢えていたように思う。難解な作品の前で、脳内を「why」でいっぱいにしながら、結果はもちろん「諦め」という敗北。わけのわからないコラージュ作品に意味を見つけようとして、最終的に「よく分からんなあ」といって去る。不思議ともやもやはしておらず、むしろ少し心地のよいものだ。今思うと、諦めたくて考えていたのだろう。

年明け早々、どうしても受け付けられない嫌なことがあり、とてつもない不信感とともに「もう無理だ…」しか言えない機械のようになっていた。そんな時友人に言われたのが、「でもね、結局相手は何も考えてないのよ」という一言。その時、ギチギチに縛られたロースハムの紐を一気に解いたかのように、脳みそがすうっとしたのを覚えている。
そうか、意味などないのか。善意も悪意も、すべては幻想で、この世界には意味などないのだ。

考えごとをしていると八方塞がりになって苦しくなる。当たり前だ。最初から答えの出ないことを考えているのだから。広大な砂漠で水源を求めてひたすら穴を掘っているようなものなのだ。

「そこには水源なんてないんだよ」
そう言われたら場所を変えるのみだ。諦めるために、「気が済むまで考える」という選択肢しかなかった私にとって、「すべての物事に意味などはないのだ」という答えは、とても救いとなるものだった。もう考えなくていいんだよ、と長年の何かから解放された気分だった。

考えすぎて苦しくなってしまうひとほど、シュルレアリスムという薬をオススメしたい。ひたすら無心に作品を受け入れていく。世界は無意味だ。頭を悩ます必要はない。不条理であることが当然で、そこに悪意などはなく、ただただ存在しているだけだ。

不条理な現実が当たり前と受け入れると、途端に心が軽くなる。ふしぎだ。

「新春えびすリアリズム」は1月18日まで。遊び心も展示作品もいっぱいで、入場チケットを買うと名言みくじなんてオマケも。。500円でこれだけの満足感は、かなりお得だと思いますよ。


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園田もなか

日々のつれづれ忘備録

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