不安はいずれ不釣り合いな存在となるだろう

フリーになりたてのひとの話を聞くと、「初めての月は収入0円だったよ」とか、そこまではいかなくても「元の稼ぎの半分になったよ」とか、そういう話をよく聞く。私の場合も大したコネや計画性も無いまま、考え無しに辞めてしまったせいで、しばらくは生活費を稼ぐのにいっぱいいっぱいだった。

数ヶ月前の私は、大体2週目くらいに仕事の目処がたってようやく「あ、今月の家賃や光熱費は払えるな」と胸をなでおろし、月末になると、真っ白の手帳とにらめっこしながら、果たして来月は家賃を払うことができるのだろうかという不安に震えていた。

……なんて言い方をしたら大げさだけど、少なくとも頭の中はお金のことでいっぱいだったのだ。

いまはもうそこまで「お金お金……」と怯える日々は過ごしていない。といっても、それは必ずしも私の実力なのではなく、ご縁とご縁をつたいながら、ようやく"その月暮らし"の生活を抜け出すことができた、というだけの話だ。結局は、仕事をしながら自分の至らなさとか、もどかしさとか、そういったものに悩み悩み、書いていくしかない。"お金"の不安から脱して、気楽になった日々もつかの間、結局また頭に悩ませる期間が訪れてしまった。

不安や悩みというのは、"不快"な感情だ。体の中をもぞもぞと這い回る"何か"を、「嫌だ嫌だ」と振り切ろうとしていくうちに、気がつくと新しいステージに立っている。つまるところ脱皮のようなものだ。

いま、どうしても嫌でしんどくて仕方のないことがあっても、いずれそれは古皮として脱ぎ捨てられる。視界が開け、途方もない快感のあと、私がさらに大きくなろうとするのであれば、また不安があらわれるだろう。不安は私たちを追い詰めて逃げ場を無くすものではなく、心のターンオーバーなのである。

だから、もし不安に思うことがあるのなら、その不快な感情を押し込めない方がいい。見ないふりをするうちに、外皮はどんどんと古くなりシワがより、より不快になるだろう。その不快な感情からいかに抜け出すか、もぞもぞと動くことに突破口がある。

落ち着きのないやつだ、と思われようとも。


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