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大げさなひとはおしゃべりだ。

出先で暇ができたので、喫茶店に入りケーキセットを頼んだ。お皿や内装は可愛いし、コーヒーもケーキも美味しい。窓の外の景色を眺めつつ、ほとんど食べ終わるあたりで、「そういえば写真撮らなくなったな」と思った。

中学や高校に通っていた当時は、ファミレスのドリンクバーひとつにもはしゃぎ、写真を撮っては思い出として保存した。

大学に入りお酒の味を覚えてからは、毎日のように飲み歩き、プリクラや写真を撮りSNSに投稿し続けた。

社会人になってからは、旅行に行く時や、ちょっと変わったイベントに参加するときくらいだろうか。少なくとも、日々のランチや夜飲むときの光景を写真におさめる気持ちはめっきり無くなってしまった。

結局のところ、私の中でそれらが"大ごと"ではなくなってしまった、というだけだ。慣れないものは、いつだって非日常で、大きなインパクトを与える。インプットのキャパを超え、どこかにアウトプットしていかなければ心がもたない、もどかしくなる。

これって、写真だけではなく、SNSの投稿や口数についてもそうだ。何でもSNSにあげたり、口が軽いひとっていうのは、結局それらが彼らの中ではまだ大ごとなのだ。非日常で、伝えるべきことなのだ。

非日常が日常になっていくためには、それを上回る非日常が必要で。つまらないことを口走ったり、投稿しては後悔しないためには、自分の身を置く日常をアップデートしていくしかない。

食べかけのケーキを試しに撮ってみたけど、それはすでに残滓でしかなく。

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