「好き」を数えて、強い自分を取り戻す

自信を取り戻したいのなら、「好き」を数える。

書いた記事に対して、「それ、本当に面白いと思って書いた?」と言われて戸惑った。自分が面白いと思うものを作るって、発想としてはシンプルだけど、だからこそ難しい。書けば書くほど、「これ面白いと思っているの?」という声が、自分の声だけではなく、様々なひとの声色で再生されて責め立てられる。だんだんと自信がなくなっていく。どうすればいいのかもわからなくなってくる。

「自分が面白いものを書きましょう」と言うのは簡単だ。言うは易く行うは難し、ということで、実現するのは超難しい。でも、その難しさって、そもそも自分が面白いと思うもの自体がつかめていないからかもしれない。スタート地点に立ててさえいない、というか。

だから、まずは「自分が好きだと腹の底から感じるもの」を思いつく限り、紙に書き出してみた。

自室の本棚を思い出しながら、面白かったタイトルを書き出していくと、実は「面白いとは思っていなかったけど、格好つけたくて」買った本とかが排除されていく。「ちょっとダサいと思っていたけど、王道で俗っぽい」ものが好きだった自分に気づく。

純文学が好きといいつつ、実は小難しいものが苦手だったみたいだ。よく考えれば、小学生の頃は「バッテリー」とか「偽原始人」、「セーラー服と機関銃」とかああいう分かりやすくて面白いものが好きで繰り返し読んでいた。

自分の「好き」を数えていく。そうすると、知らず知らずのうちについてた「嘘」が消えていく。雑音が消える。脳内で響く、他人の声が消えていく。等身大で、シンプルな自分に巡り会える。思っていたよりも格好よくなくて、でも、好きなものを好きだと言える自分。

振り返ってみれば、周囲で自信に満ち溢れているひとたちって、みんな「自分が好きなものに正直な」ひとたちだった。そうなのだ、自分への正直さこそが、自分に自信をつけてくれる。なんだかいつも後ろめたい自分から解放される。

本当は、ランボーの詩集とか読みながら、カフェでコーヒーを一杯、みたいな自分に憧れてたんだけど。

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園田もなか

日々のつれづれ忘備録2

コメント4件

ランボーは憧れる。
ランボーが好きだというひとを好きになりそう
正しさの軌跡を追うのではなく

好きという煌めきを数えたら その一歩一歩が

日常が もう一度 何度でも

恋みたいに 色づくような 気がして
大野さん 素敵なお言葉をありがとうございます!
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