見出し画像

何気に感動した2024.5.5

お疲れさまです。

今日は仕事だった。
使用してるオフィス街の駅で、お神輿を担いで練り歩くお祭りをしていて、なんだか夏みたいな気持ち。

そんなに根を詰めずに作業をして、できたものを先輩に見せてアドバイスをもらった。毎日学びがあるなと思う。
同時に、毎日私が知らないことってなんて多いんだ、とも思う。仕事のスキルに限らず、世の中のことも。

夜は涼しい。こんな気候の夏が続けばいいのにな。

最寄駅に着いたのは20:30頃で、家に向かいながら、今から夜ご飯作るのちょっと面倒だなと思う。

妹も家でご飯食べるみたいだから妹の分も作ってあげて、っていうLINEが母から来ていたのを思い出し、私も私で仕事なんだよなあと、なんか不平等では?という気持ちがフツフツと湧き出てきた。

家の下に着くと、リビングの電気が付いていて、妹が先に帰宅しているようだ。玄関のドアを開けたら、なんと、何かを焼いている音が聞こえた!

妹が料理をしている!

ただこの時はまだ半信半疑で、自分の分だけを作っている可能性もあるなと思った。が、リビングに行き、「もしかして作ってくれてるの?」と聞くと、「うん!」と言われる。

母不在でどちらかが料理をしないといけないときに、妹が作ってくれたことって記憶になく(もしあったらごめん)、妹が料理作ってくれることってあるんだ!!!!!!!と、正直めちゃくちゃ驚いた。

Oisixのハンバーグ

しかも、食後に台湾土産のお茶も淹れてくれた笑

私が変わったから妹の心境にも変化があったのかもしれないし、たまたまそういう気分だったのかはわからない。


このnoteでけっこう家族のこと書いてたんだけど、今思うのは、私が7年間うつ病に罹患することになった原因の多くが、家族内で「情緒的サポート」という子どもには好ましくない役割を担わされていたことにあったのかなと思っていたけれど、自分の性格も大きな原因だったのだと思うようになった。

「アフリカの子どもたちのほうが辛いんだ」って思いながら必死でマラソンで走ってたり、「クラスの全員が楽しいと思えるように」とかいうクソおせっかいな気持ちを本気で思ってたりした中学時代や、『きけわだつみのこえ』を読んで、勉強をしたくてたまらなかったのに特攻隊員になって死んでしまった彼らの分も勉強しなければならないって思ってたり、誰かを傷つけるかもしれない排他的な楽しさを極端に避けたりしていた高校時代、などなど、誰かの思いを踏みにじってまで自分(たち)だけが幸せになりたいと思う人間への軽蔑と、そうではない生き方をしたいという高尚な願いが強すぎた。

だから、今思うのは妹のこともお母さんのこともお父さんのことも好きなんだよな。
怒りや恨みがあったことは確かにそうで、それを認めることが私には本当に難しくて、でも本当に必要なことで、それをここ4ヶ月くらいでやり切った感覚がある。

まあ何が言いたかったのかと言うと、妹がご飯を作ってくれて姉は感動したってことだ笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?