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「考える」ことについての本

読書用メモ57

▼タイトル①:考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門(2018年9月発行)
▼著者:梶谷 真司
▼タイトル②:独学のすすめ(2009年11月発行)
▼著者:加藤 秀俊
▼タイトル③:マネーの公理 スイスの銀行家に学ぶ儲けのルール(2005年12月発行)
▼著者:マックス・ギュンター
▼タイトル④:2歳から12歳の脳がグングン育つ!論理の力(2019年5月発行)
▼著者:出口汪

とあるオンラインコミュニティの記事を読んで、「この人は今この世の中にないこの突飛な(しかし近い将来当たり前になる可能性のある)閃きをどうやって思いつくのだろうか」と思った。私はこんな奇抜なアイデアは思いつかない。この人はどう「考え」、未来を予想しているのであろうか。

いろんな本やネットの情報を見て、「なるほど」と知識人の意見を聞き、自分の知識・考えとして参考にし自分の言葉にすることがある。
例えば、アフターコロナがどうなるのか、ということを考えることもそう。自分でアフターコロナの世の中はこうなる、と考えるというより、そのたぐいの記事や他人の考えを読んで、「そうだそうだ」と同意する。これは自ら考えたことにならない。もちろんAという考えやその対極に当たるBという考えも参考にし、自分はその中間のCという考えを持っている、というような鵜呑みにしない咀嚼の仕方もあるが、あくまでアイデアのベースは誰か他人の物の気がする。

以前営業入りたての時に営業成績が芳しくなく「売上を上げるにはどうしたらいいか、よく考えろ」と言われて、「考えるって何さ!」と逆切れしたことがある(苦笑)。

考える、とはどういうことかを改めて整理してみると、『ある問題があり、その解決法を考える』というものがある。まさに売上をUPするにはどうしたらいいのか?というのがそのパターンだ。

もう一つ、オンラインコミュニティの記事のように、今存在しないことを、自身の経験を通して予測し整理する、というものがある。これは『新たな問いを自ら生み出す』ことだと思った。

前者が既に目の前にある問題の回答を考えるのに対して、後者は問い自体を考える。
私は後者をほぼやったことがない気がする。少なくとも意識的にできていない。

小さい頃を思い出してみると、私は親になんで?どうして?と質問した覚えがあまりない。どちらかというと「そういうものだ」と解釈し、型を覚えていた。英語も社会も理科も暗記が全てだと思っていた(数学だけは少しゲーム的だったが)。
社会人1年目、SEになった時も、コーディングをするときに、コードの意味を理解せず、これはおまじない的にこう書くものだ、と思っていた。Javaのオブジェクト指向なんてさっぱりわからなかった。今考えるとそんな私に作成を任せていたのが恐ろしい・・・。

何がきっかけでそんな凝り固まった考えになったのか覚えていないが、徹底的に考えるということを怠ってきてしまった。すでに30代後半になっているが、気づいた時から考えを改めたい。遅いかもしれないがやらないよりマシである、きっと。。。

とりあえず考える(問いを作る)の重要性を子供が生まれたばかりの時点で気が付けて本当によかった。危うく「そういうもんだからそう覚えておきなさい」と同じ脳みそ構造に育ててしまうところだった。この子の可能性の芽を摘まないためにも、問い続ける子にしてあげたい。論理的に物事を整理し、俯瞰できる能力を操ってほしい。親になるって、責任重大である。

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