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自分の土台を柔らかくする

昨日、ありのままの自分を認め赦し、受け入れ、表明することを「耕す」と言っていた方の話をしました。

我が家には庭がありますが、木が多すぎて耕していないため、固くなってしまい、さらに野生の動物の糞尿、酸性雨などで土が酸性化して、植物が生えない場所が出来ています。

土が固くなってしまうと、新しい植物もうまく育ちません。

20年くらい、新しい植物がほとんど育っていない。だいたい、わたしが体調を崩した時期とも一致しています。庭の管理はわたしがしているため、庭はわたしとほぼ同じ状態になっているともいえます。
去年、1月ほど家を空けたら植物がかなり枯れてました。。

だから、この「耕す」という意味が、とてもよくわかるのです。

この庭には、果物の木が複数あるのですが、今年はたった2つだけしか実っていません。一時期は、近所に配るほど出来たこともあったのですが、最近はまったく出来ていません。
切るタイミングとかも、あるのでしょう。周囲からも家族からも、全部切ってしまえ、の一択。
でもそれは、まるでわたしなどいなくなれ、消えてしまえ、と聞こえてしまって苦しかったのです。

でも、お祓いとか浄化とかやれる限りやって、ようやく静まった。
今日もやっぱり、切れって言われたから、また神社でお祓いしてもらわないといけないな。本当に、わたしがありのままでいるのは難しい。

とはいえ、考え方を変えていってから、黒いもふもふが南天の実をたくさんつけていったように、少しずついい方向へ行ってるとは思う。そうだね、難を転ずる、ともいうんでしたよね、縁起のいい木だからと義母が植えた。
すごい数の実が、赤くなりはじめました。
鳥たちが食べるのは赤外線の色になった頃(赤外線も見えるよ)なので、もう少し先だろうけど、今年は大騒ぎだろうなぁ。

耕しとはあまり関係ない話になってしまいましたが、土の状態で生える木も変わります。今生えてくる木の大半、実は鳥が運んできたもの。鳥が運ぶということは酸性でも平気ということ。アレルギーの元になる木だったり、大きくなりすぎるものは伐採。今年は、自宅にあったザクロの種と、千両の木が生えました。ザクロは自分たちで植えたものですが、千両はどこかから運ばれたのでしょう。ザクロは葉を虫に食べられました。自分たちで植えたものはなかなかうまく育ちません。

この生えてくる木が、「知識」「ルール」「制限」だったりするそうで。生えてくる木が制限されている時点で、自分でがっちがちに制限かけまくっているということで。。。orz

ルールだから、目障りだと文句言ってくるわけなのね。なるほど、庭にはドレスコードがある、あまり大きく蜜なのはちょっと…ということですか。

この木が多すぎると、当然生きづらくなります。
近所にあらゆる野菜を大きく育てる達人のような方がいますが、びっくりするほど小さい庭に大きな野菜を実らせています。つまり、土を耕しどんな植物でも自由に生やせれば、結果が出せる理想の人。人の在り方にまで影響していたのです。うちと違って、実ったらすぐ更地。当然、達人が外へ出れば、人が声をかけてきます。

一番大事なのは、土が柔らかく、適した植物がすくすく育っているか。育っている植物の種類は、あまり関係ない。

庭を持っていない人にも、それぞれ心の庭があり、やわらかな土に植物が生えている、小さな頃は親が土をやわらかくしてあげて、大きくなったら自分で土の手入れをしなくてはいけません。植物は誰かの言葉だったり、社会的なルールだったり。生きていくうえの最小限のルールは必要なのですが、小さい頃は家でたくさんの植物を植え付ける必要はなく、土をやわらかく保ってあげれば、外から色々な種類の植物をもらって帰ってくる。

いまの時代、何かあったら植えている植物をごっそり入れ替えることもあるという。その時、庭に植物がたくさん生えすぎていたら刈り取りも大変だし、直後の土は荒地なので、リアルだったら総入れ替えなんですが、心の土は入れ替えが出来ない。
なので、心の土は固くならないように、時々植物を移動させながら、いつでも新しい植物が育つよう、手入れをした方がいいらしい。

いつも同じ植物を生やしてると文句を言われます・・・庭には流行があり、いまは断捨離とかミニマリストがブームになっている。
でも本来は、庭を手入れするのは、本人です。他人が言えるとしたら「電線に引っかかるから危険」「よそへはみ出した」くらいまで。それは、心の庭ならなおさらです。心の庭は、その人の「ありのまま」。他人に変えろ変えろと言えばメンタルの病になるのは当然でしょう。マインドコントロール、支配にもつながるため、最近はタブーになってきています。

いま、他人の心の庭に「これ植えた方がいいよ」とか「全部更地のほうがいい」とか言ってる人が多いような気がしています。心の庭情報まで過多になってる気がしています。でも、自分の心の庭は、誰にも渡さないで。

更地のままにしていれば、雨がふったら土砂が流れて危険です。

うちは山道の途中に住んでいるので、盛り土をした家がしょっちゅう崩れています。だから更地が危険なことを知っています。植物があれば、土は流れていきません。昔の人は、土砂が流れない植物の組み合わせを知っていました。今は温暖化で植物も枯れやすいので、組み合わせのアップデートは必要だと思いますが、斜面に1本も木を生やしていない家が多すぎ、大雨のたびに避難情報が出る場所では、落ち着いて生活が出来ません。

うちの近所も、昔から生えていたクスノキを切り倒して建てた家に、なんども避難勧告が出ています。なんのために生えていたのかも知らないんだ。

そういうことが、心の庭にも起きてるんじゃないかな。
なぜその木が、心の庭に生えているのか。なにが必要で、必要でないか。土は柔らかく、栄養豊富か。そばにいる人の心の土や植物が荒れていないか。

ありのままで生きるために、じぶんの足元を見つめる時間を作り、自分に問う。「このままでいい?」
心の庭がきれいな人は、周りの人も幸せにします。だから自分の庭を整えましょう。

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