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#8月31日の夜に。

8月31日の夜に。
私は何を思うのでしょう。
世の10代は、何を思うのでしょう。

どうも、なんでもない人です。

8月末は10代の自殺率がぐんと上がるらしいですね。
なんとなく気持ちはわかります。
休みが終わることへの虚無感。学校が始まることへの絶望感。不安感。

私は、高校生ですが夏休みや冬休みが終わる時に「学校始まって欲しくない…」と思ったことはほとんどありません。学校は私にとって、楽しい場所だったからです。

ですが、1回だけ本気で行きたくないと思ったことがあります。



高校2年生の春休みが明けるタイミング。休みが明ければ3年生。このタイミングです。


私が行きたくなかった理由は主に2つ。



・受験生を自覚したくなかった。

・久しぶりに行く学校が怖かった。



まあ1つ目はわかるとは思います。
高校3年生=受験生と自然的になるのが怖くて仕方なかった。自分の将来と向き合わないといけないのが怖かった。ただただそれだけです。


2つ目の話をしましょう。

私は高校2年生の時、不登校をしていました。
と言っても三学期からなんですけどね。



事の発端は2年生の9月頃。
私は、吹奏楽部に所属していました。
ですが、顧問の先生と とことん合わなかったのです。というか、合わなくなったのです。

先輩が引退して、私たちの代になった時先生の相手をまともに引き受けるのは私だけでした。なぜなら私は「学生指揮者」だったからです。


顧問の先生は「声楽専門」、すなわち「合唱部」の先生でした。

ですが、指揮を振れるのはこの人だけ。
なのでこの先生に吹奏楽部の顧問をして頂いていました。


この先生は口を開けば


「僕は本当は合唱がしたいんだ。」


こればかり。

私は本気で吹奏楽が好きで、中学生の時も本気で部活と向き合っていたタイプの人間だったので、この態度がどうしても許せませんでした。

僕は仕方なく顧問をしてあげているんだ、というこのスタンスが許せなかったのです。


この頃、友達とも上手くいっていませんでした。

音楽が好きで好きでたまらなかった自分が、吹奏楽部で居続けるのがしんどくなった時期です。

どれだけ真剣にしていても、やはり高校では「やる気がある人」と「やる気がない人」の落差が激しいです。

学生指揮者として前に出て合奏していても、返事が返ってこない。返事だけならまだ我慢できます。音としても反応が返ってこないことが一番辛く腹が立ちました。


自分ばっかり空回りしているんじゃないか。

と思ってきたのもこの頃です。

そんな時、1つの大会がありました。
この大会には部員全員で出るのではなく、少人数でグループを作って、2つのグループだけが大会に出場することが出来ます。

私はサックス四重奏でグループを組みました。
嫌だと言っていた後輩も説得してなんとか組めたグループ。絶対無駄にはしたくなかった。
その後輩と決めた目標は「支部大会出場」でした。

その噂を耳にした部員達に言われた言葉は

「そんなの出来るわけない。」「県で銀賞しか残せてないのに、無理でしょ。」「支部大会なんかふざけてる。」

こんなマイナスな言葉ばかり。
きっと、普通の状態なら私もきっと「無理なんて言わせないやってやる」ってムキになっていたと思います。
でも、もうそんな気力も残ってない時期でした。

そして部活を休みがちになりました。

やはり部員からは文句が出ます。これは当たり前のことなので全面的に私に非があります。

そうしてある日、木管楽器(フルート、クラリネット、オーボエ、サックス、ファゴット、コントラバス)の子達に呼ばれました。
そこに居たのは、私以外の木管楽器の部員全員です。

その子達になぜ私が部活を休んでいるのか、なぜ指揮を振らなかったのか(直近の本番で指揮を振らなかったので)、説明をしました。

その時、一緒に居た部長に言われた一言は

「私には何がそんなにしんどいのかがわからない。」



……
この一言を聞いた私は、まさに「絶望」の一言でした。

私はこの部長の子と仲良くしていた方なのですが、

あ、この子は人の痛みを分かろうとしてくれる子じゃないのか…

と思いました。

この頃、まだ地区大会も終わっていません。
この絶望の中、吹く気力もありませんでした。

でもいま辞めたら、絶対に文句を言われる。

この恐怖心だけで、地区大会まで続けました。

12月にあった地区大会の結果は、「金賞、地区代表」でした。


本当は嬉しいはずのこの結果が、苦しくて苦しくてたまらなかった。

まだこの部活にい続けなきゃいけない。
この頃の私はもう上手く笑うことが出来ませんでした。

年が明けて1月。
県大会がありました。
結果は銀。正直めちゃくちゃ悔しかった。

でも少しだけ安心したのも事実です。

そして、張り詰めた糸が切れたように何に対してもやる気がわかなくなりました。

県大会の一週間後、私は学校に行かなくなりました。

学校に行こうと自転車を漕ぐ度に襲う腹痛。
道々にある公園のトイレにこもっては下し、また漕いではお腹が痛くなりトイレを見つけ、駆け込んで下し…この繰り返し。

最後の公園でお腹の痛みがなくなるまで、ベンチで座っていた時


「私、なんで今学校に行こうとしてるんだろう。」







「学校に行きたくないなあ…」

こう口にした瞬間、涙が止まらなくなりました。私にもわけがわかりませんでしたが、涙が溢れ出して止まらなかったのです。


そして、学校に行かなくなりたくさんのことがありました。

この3ヶ月が私の人生で1番苦しく、しんどく、有意義でした。

そして春休みが明けるタイミングで学校に行こうと決めました。
そしてとてもその瞬間が怖かったのです。

3年生のGW明けもめちゃくちゃ怖かったです。


こんな私が今歩んでいる道は、


「通信制高校に転校して高校卒業の資格を取る」


ということです。

なので、もし私と同じように学校に行けなくてしんどい思いをしてる子がいるなら、1人でも多くの子に、

今の道が絶対に正解ってわけじゃないんだよ。

って伝えたいです。


逃げたように見える道でも、新しい景色がたくさん見えて楽しいです。

何より、逃げるのもひとつの勇気。


「命」を捨てるより、私はこれでよかったと思っています。
だって楽しいし(笑)

苦しいなら逃げちゃえばいい。案外なんとかなるもんです。


逃げちゃいけないなんて言う大人は放っておけばいい。それは本当に恵まれた人達が言えることです。
向き合って向き合って本当にしんどいなら、逃げた方がいい。あなたが変わってしまう前に。

逃げちゃいけないなんて間違ってます。逃げちゃえばいいんです。

だって、私の人生なんだから。



他人の評価より、自分が自分のことを好きでいられる方を積極的に選びましょう。
その方が絶対的に健康です。

そしてあなたが好きな人と一緒に、好きなことすればいい。
他人に指図される必要なんてこれっぽっちもありません。



だから一緒に、1度きりの人生を自分色でいっぱいに染めましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

#8月31日の夜に #10代 #不登校 #日記 #体験談 #高校生 #吹奏楽

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