私見54

こころ あなたが感じることは
うそのない 気持ちなのね
あたま きみの考えることが
うそのない 答えなのね

チャットモンチーの「こころとあたま」という楽曲の歌詞をしょっぱなから引用していまいました。
己のあたまに悩まされている今日この頃でございます。
いや小学生からずっとか。

宇宙人のビジュアルのプロトタイプって頭がデカいと思うんですけど、私もそろそろあのビジュアルになってしまうかもしらん。

何をするにもあたまが介入してくるせいで人生ごっこやってるみたい。

自分のこころの所在を知りたい。

前回の私見で共感できなくなったのは自分が確立できたからかも、みたいなこと書いたけど違うのかも。残念。
こころが無ければ共感もそりゃできんわな。

あたまの考えることがうそのない答えなのか・・?と考えるのもあたま。
ラスボスすぎる、あたま。

綴る言葉、おこした行動、ふとしたときの所作、語尾、感動詞。
そのどれもが自分の考えのもとではなく、ごっこ遊びとしてしか機能してないんじゃないかと思うことがあります。

このごっこ遊びの何が怖いって、「誰のためにもなっていない」のが怖い。

人に褒められたいから、自分の意志とは違うことをすることは誰にでもあると思います。
偽善者的な部分というか。

ただ、私はよく「誰のためにもなってないけど、自分の意志でもない行動」をとってしまいます。怖。
「こうすれば自然かな」が行動原理。

そういう自分を自覚したとき、気持ち悪すぎて人とうまく話せなくなるんですよね。
しゃべる言葉全部嘘に思えて。
相手に失礼で仕方がない気がしてきて。

眠れない時に眠れていない自分を自覚して、より眠れなくなるやつに似てますね。
自覚という苦痛。

面接やら接客ではこのピエロっぷりが役に立つことはありましたが、そんなもんは人生の何の足しにもならないわけで。


これが重症化してくると、好きな人や物が本当に好きかわからなくなってくる。
この気持ちは本物なのか・・・?みたいな地獄。紛れもない地獄。


好きなものを好きと認識できないことほどの地獄を私はまだ知らない。


だからこそ、好きな人やものを本当に、心から好きだと思えていることへの有り難みも人一倍知っているつもりです。

2日前にthe 1975のライブを初めて観ました。
あの時の私のあたまは間違いなく瀕死状態にありました。
こころと体しか動いてなかった。


間違いなく人生ごっこの外の出来事でした。
そんなものは私の中では人生の1割もないかもしれません。
これもあたまが優勢すぎるせい。こころ頑張って。頑張りすぎないで。


行方不明になりがちなこころに形をくれる人やものには感謝してもしきれないです。
共に人生を歩んでくれ。

人生ごっこマジで楽しくないからどうにかしたいなぁ。
総合的に人生楽しいんだけど、まだ何か変わらなきゃなぁ。


そしてやっぱり何度も言ってる気がするけど人のこころを動かせる人間でありたいですね。これに尽きるわ。

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