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上手に恋愛できないこじらせた大人に贈りたい映画4選



生まれてこのかた上手に恋愛できたことなんて一度もない。


好きなのに好きじゃないふりしたり、相手が思い通りにならないことにイライラしたり、実は両思いなんじゃないかって勝手に考えたり、ちょっとでもいいことがあると運命なんだと思い込んだり、好きな人がいると声が大きくなったり、視界の端でとらえて聴覚をそちらに全集中させたり、付き合えても依存して面倒がられたり、精一杯尽くしてるのに返してもらえないから不満ばっか貯まっていったり、相手が自分の全てになってしまったり、好きすぎて消えてくれたら楽なのにと思ったり。

こんな経験を一通り済ませ、大人になり、映画をよく観るようになりました。
そこで出会った4本の映画が自分と重なり、反省と後悔と懐かしさで心をかき乱される体験ができたので、共有させてください。

ちょっとだけネタバレあります。オチや核心には触れてないと思います。


勝手にふるえてろ(2017)

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中学生の頃に片想いしていた“イチ”との妄想恋愛を続けているOLのヨシカ。
今でこそこじらせながらも多少はモテているヨシカだが、中学時代の彼女はスクールカースト底辺のいわゆるおたく女子だった。憧れの王子様“イチ”が好きで好きで、でも自信のなさと自意識に挟まれて自分から接触すことができない。唯一頑張って話しかけた時の記憶を宝物のように大切にしている。そんな彼女の“イチ”への接触方法は「視野見」であった。

視野見とは文字通り視界の端に“イチ”を映して彼を観察すること。私なんかが意識しているなんてイチにバレたら恥ずかしいし身の程知らずと思われたくない。イチに全く相手にされないであろう現実が見たくない。そんなヨシカの思いが詰まりに詰まったこの行動。自意識が邪魔して好きな人に話しかけられなかった経験のある人なら似たような行動をとったことがあるんじゃないでしょうか。

この視野見、実際にやってみると視野の端だとよく見えないから相手が存在しているということしか認識できないんですね。でも、きっとそれでもヨシカには十分だった。中学時代のわたしにも、それで十分だった。

頭の奥では手の届かない相手とわかっていても、小さな出来事で大きな期待を持ってしまうヨシカは片思い中の自分を見ているみたいでした。どうして恋愛って負け試合なのがわかっていても期待を抱かずにはいられないんでしょうね。意味なんてかけらもないのに、相手の一挙一投足に自分に向けた深い意味があるのだと思い込んでしまう。

“イチ”との妄想恋愛と都合よく解釈された思い出、そして“ニ”とのコンプレックスにまみれた下手くそな恋愛。キラキラした青春時代を過ごせなかったわたしにとっては共感の嵐でした。
松岡茉優さん演じるヨシカのミュージカルシーンもシュールで切なくて必見です。松岡茉優さんにこじらせ女子役が似合いすぎている。




愛がなんだ(2018)

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愛ってなんなんでしょうね。相手に尽くすこと?相手の幸せを願うこと?相手なしじゃ生きられないこと?相手とずっと一緒にいたいという気持ち?

大好きなマモちゃんのために大切にすべきだったものをたくさん犠牲にして尽くすテルコ。だけどマモちゃんの彼女にはなれない。

好きをこじらせたテルコは、同じく片思いをこじらせている男友達に言います。
“マモちゃんになりたい”

マモちゃんになれば大好きなマモちゃんと離れてしまうことがなくなるもんね。一生一緒にいられるもんね。ちょっとわかる。
わたしは人生で一番好きだった相手にフラれた時、その相手が死んでしまったと思い込むことにしました。死んでいればわたしがどんなに頑張っても二度と会うことはできないから。生きていたら、彼に会えてしまう。会えたら一緒にいたいと思ってしまう。だから自分の世界から彼を殺すのが一番合理的で一番辛くない方法なのだと信じていました。今じゃやばい女だなって自分でも思いますけどね。その時のことを思い出しました、このシーンを見たとき。

余談ですが、別れた数年後にその相手とたまたま再会したときはゾンビを見つけたみたいにびっくりしました。生きてたのかー。ま、そりゃ生きてますわな。ははは。




ルビー・スパークス(2012)

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一発屋の小説家カルヴィンが書いた理想の女の子ルビーが現実に現れてなんとカルヴィンの恋人になった!
という夢みたいな現実のおはなし。

自分の理想だけでできた女の子は最っ高に可愛くて、一緒に過ごすのも最高に楽しい。そりゃそうだ、見た目も中身もタイプど真ん中の子と付き合ってて楽しくないわけがない。

だけど、相手が理想の女の子だからといってうまくいくとは限らないんですね。

ルビーは明るくて社交的、ザ・映画のヒロインというかんじの女の子。
カルヴィンは大人しくて内向的、自信がなくて人と接するのが苦手な根暗男子。
カルヴィンは、ルビーが周囲と楽しく交流する様子にマイナスの感情を抱きます。自分だけのルビーでいてほしいという独占欲。思い通りに動いてくれないルビーに苛立つ自分。ルビーという光によって強調されてしまった自分という陰。
自分と正反対の、人気者の女の子を望んだのは彼自身だったはずなのに。

自信がないのに自尊心だけ大きい人が、“なりたい自分”を投影した相手と付き合ってしまった。でも、尊敬できる人と付き合ったからといって、なんの努力もせずに自分も同じような人間になれるわけじゃないんですよね。恋に浮かれてしまうと、それがわからんのですよ。最強の恋人と付き合っている最強なはずの自分と現実の自分とのギャップに苦しんで、相手を思い通りにしようとして、余計にうまくいかなくなってしまう。あ〜恋愛って難しい。




(500)日のサマー(2009)

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地味でさえない日々を過ごすサブカル男子のトムが新入職員の超かわいい女の子サマーに一目惚れしてしまうところから物語は始まります。
サマーへの気持ちを運命の恋だと確信するトム。めでたくサマーと恋人のような関係になれるけど、「愛なんて信じない、真剣なお付き合いはできない」とサマーに釘を刺されてしまう。どうしてもサマーを繋ぎとめておきたいトムは、それでもいいよと“ライトな関係”を受け入れてしまう。

よくある話なんですよ。本当によくある話。
サマーに遊びの恋だと宣言されていたにもかかわらず関係が深まったと錯覚し、相手が自分と同じテンションでいてくれないことにがっかりして逆ギレするトム。恋に浮かれて膨らんだ期待は、やがて一方的な好意の押し付けに変わっていきます。こんなに好きなんだから、相手もきっと同じ気持ちになってくれるはず。たくさん好きを与えたのだから、同じくらい返してくれなきゃおかしい。とても自己中心的ですが、与えたぶんだけ返してほしくなっちゃうのはしょうがないと思うんです。無償の愛なんて、なかなか他人に与えることはできないものだから。だからトムは、少しでも気持ちを返してくれる人、真剣な恋を望む人と付き合うべきだった。でも好きになっちゃったからしょうがないんですね。好きってコントロールできないもん。



ちなみに、反省を活かした恋愛はいまだにできておりません。




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