短評 イシデ電「私という猫」〜動物に仮託された人間のパッション

イシデ電「私という猫」は力作であるが、動物マンガというよりは、どっちかというと、人間の野性や感情を猫に託して描いている作品だと感じる。

Twitterで紹介されていた、子猫を目の前でクルマに轢かれる母猫のシーン。これなども、たとえば戦時中、人間の母子を対象にした空襲シーンなどで同じテーマを描くことはできる。しかし半世紀以上前に起こった空襲よりも、猫の交通事故のほうが、いまの私たちにとっては身近であるためより切実である。

つまり、人間性を否定される状況での人間像について、たとえば戦争ものや、サバイバルものの形式をとると、それらはほぼエンタテインメントとしてしか受容されない状況になっている。そういう状況をふまえてイシデ電は、愛玩対象である身近な他者としての生きものとしての猫に仮託して、そういった生死に肉薄するような人間のパッションを描いているようにも読める。

しかしそれは、猫や動物そのものの生とは少しちがう。猫自身はそこまで因果関係や時系列を「考えて」生きてはいないからである。