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バラバラ組合とΩ団の話・3

Ω団の話の続き。今回は、実体験から。ツイートをコピって、多少直してお届けします。

今回のポイントワードは①「理想の〇〇設定」②「おんぶオバケ」です。


どうも。
「かーさんには母性を感じない。むしろ父性を感じる。」
息子本人に告げられた母です。「普通のお母さんになって!」と娘に泣かれたこともあります。かつて「幻想の普通少女」って漫画がありましたが、「幻想の普通のお母さん」のことを「母性」って呼んでんじゃねーの???疑惑が私にはある。

息子が母性と呼び、娘が普通のお母さんと表現した、「何か」があるように思うのだ。
「幻想の普通お母さん設定」と仮に呼ぶことにする。

「幻想の普通お母さん設定」に対して「当てはまる・当てはまらない」で、「愛されている・愛されていない」と「判定する」ような、あの感じをナゾに思う。父親に愛されたかどうかについての話が「とても薄い」のと同様にナゾである。「幻想の普通お母さん設定」にはものすごくマッチしてるんだけど、子供本人の要求に対しては壮絶にミスマッチ!!ってなのもよくある。背中がかゆいよーって言ってる子供に手作りおやつを差し出すような、ミスマッチ。
母性って何かね????

多分「幻想の普通お母さん設定」は、Ω団と両立するのが難しいんだろうな。「もう〜しょうがないわねぇ」ってやってあげるのが「おかあさんっぽい」で、「オメーの問題じゃ、オメーガやれ」は母性っぽくない。ダンナに「あんたいくつだからそういうことするわけ?30とふたっちゅ?いい年こいた大人が子供の前でムカついたから帰る!とか、フタッチュの坊やとしか思えないわ」とかやったことあるからなぁ。良妻賢母イメージってのも、優しい人のイメージも、時々Ω団とは両立が難しいかもしれん。
「アイロンかけてあげる」「車で送迎してあげる」等々の、「それぐらいのこと」を断る時の「罪悪感的な何か」断ることそれ自体は悪いことじゃないのにな。

父と大げんかして自分の中で一区切りついた後は「良い娘じゃなくて」の罪悪感は綺麗さっぱり消えた。
理想の娘像を抱えてるのは父の問題で、オメーガ認めんとどうにもならんぞ?の話で、私が父をどう思うかは別問題だって納得できたからな。人間は「役に立つ」とか「認められた」とか「評価された」とかで、「自分はここに居てもいい許可を得た」気持ちになれたりなんかするもんだ。場を仕切る人の思惑と従う人の忖度は、そんな人間の構造から生まれるのだけど、バラバラ組合の方は時々それが「下々を振り回す」をご存知ない。

娘ならそれぐらい分かれよ的な父の望みに対し、受けるか拒否るかは、私の問題だを引き受けるまで、随分と長い時間がかかった。拒否った時に湧いてくる感情も私宇宙の問題で、父がどう在るかとは関係ない。某小説に出てくる幽霊のおじいちゃんが孫に言うセリフが「相手が幽霊でも宇宙人でも魔女でも天才でも関係ない。お前はお前としていればいい」なのよね。これは全てのことに言えるのだな。私の場合は、父に対して「こんな風に言って欲しいの理想像」があって、それを「普通ならこう言ってくれるのに、なんでそんな言い方しかできないの?」って泣いてたわけだが。そりゃそうだよな、父は父として生きてるだけだ。それにどう反応し対応するかは私の問題だ。ファザコンってのはこれだよな。父が私を認めようが認めまいが「私は私として在る」のだから、「父に認めてもらいたい!」ってのは、ある程度以上の年齢になったら、私の望みで欲望に過ぎない。父の望みを私は叶えられないし、私の望みは父には叶えられない。で、それの何が「ダメなの?」って話だ。父は言語選択のセンスが致命的な人だって分かってるのに、なんで一々バラバラ組合員の「前はこう言ったじゃん!」に振り回されてたんだろうかなって考えたら、私の「幻想のパパ」とズレてるからだ、って面は当然あるんだよな。

自分の中にある「幻想の普通お母さん設定」とズレてるから、自分はダメ母かもって悩んじゃったり、自分の中にある「幻想の素敵な自分」とズレちゃってるからダメ人間ダァァって悩んじゃったり、「幻想の〇〇設定」との無駄な戦いってのがあるように思う。理想がどうあろうと、周囲の要望がどうあろうと、無理なものは無理だし、「やるかどうかは、自分の問題」だ。殴る手を止められるのは自分だけと同じように、だが断る!が言えるかどうかも自分の中の「幻想の〇〇設定」との戦いだったりするんじゃなかろうか。子供らからのママのバカー!には「はいはい、ママはバカです、だけどそれとお前がやってないのは別問題じゃ」は言えるのに、
父からの俺の娘のくせに母としてなってない!に対しては、そう言えなかったのが苦しかったのよなぁ。今はね、言える。Ω団の抵抗策「それはオメーの理想でオメーの問題じゃ」だな。私は私で勝手に「あんたのこういうところ、大好き!」と「今のこれはめっちゃムカつく!」がある。
父は父で私にそう思うんだろう。それに全部応える義務は私にはない。稀に当たったら良かったねぇ、でいい。

Ω団としてはまず「理想の〇〇設定」が自分の中にあるかどうか、を先に見つけないとな。「理想の〇〇設定」が「それはオメーの問題じゃ、オメーガやれ!」の足を引っ張るのがきっとあるからな。普通とか当たり前とかの名前でファイルされてるけどそれ「幻想の〇〇設定」かもしれんぞ?はあるよな。一般的な考えから言うなら、いい歳した娘が、高齢の父から料理を送ってもらって喜んでるとか、アリエナーイ!のかもしれんけど。私はめっちゃ嬉しいし美味しいし、息子が美味い!言うと父はものすごく喜ぶし、誰も損してない。理想の娘設定からはきっと大幅にズレてるけどね。

依存してるくせに依存に気がつかないでイバリンボかましてくるやつってのもいてさ。「お前はダメだって言うくせに、命令してくる」やつを「おんぶオバケ」って呼んでるんだけど。自分の足で歩いてないくせに、後ろから文句ばっか言ってくるけど、おんぶ降りろ!言うと死ぬかも?罪悪感で縛るの。バラバラ組合員のおんぶオバケは始末が悪いのよね。おんぶオバケは理想の〇〇設定の不安につけ込んでくるのが上手だから「私が悪いのかしら」「やってあげないと困るわよね」ってなりがち。だけどそれ「自分の足で歩いてないから自己肯定感とか育たないから。オメーガやれ!は親切!」もあるよね。おんぶオバケの親なら、とっとと捨てて、自分が幸せに生きるのが親孝行だし。パートナーがおんぶオバケに育っちゃいそうなら、早めに「オメーガやれ」言ってやるのも親切だからな。その上で、この先どんな関係になる?を決めないと、おんぶしないと死ぬに潰されて共倒れとか最悪じゃん!!おんぶしてるなら、おんぶしてやってる!って思った方がいいし、おんぶされてるならおんぶされてるって分かってた方がいい。時々、交換こできるんなら、それが一番いいんだけどな。おんぶしてもらうのが当然!ってふんぞり返ってるならそれは「一緒に歩いてるパートナー」とは呼べないよね。まずは自分の望みを、な。


追伸。おんぶオバケになりかけぐらい、あるいは下ろすかどうか考え中ぐらいの時には、「こっちっから、ガンガン物を頼む!」とか「私無能ですから宣言」とか、使える時があるよ?って話を、今度やろうとは思ってる。

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