あの日の私たちを隔てた距離の正体は
小1の時、父の仕事の都合で引っ越しをした。
小学校にも慣れてきた6月のことだった。
6歳の私は何もかもよくわかっておらず、特に何の感情も抱かなかったけれど、ぼんやりとどこかすごく遠くへ行くのだろうとは思ったので、当時の親友のNちゃんに「ひっこしてもわすれないでね」と実感のないまま手紙を書いた。
引っ越し当日、私たち家族が乗った車をNちゃんが走って追いかけてずっと手を振ってくれた。
同じ団地で育ち、遊んできた一番の友達。
小学校も一緒に登校して同じクラスで、毎日を共に過ごしたNちゃんがだんだん遠ざかって見えなくなる。
その瞬間、私は初めて引っ越すということがどういうことかを理解した。
悲しみと寂しさがこみあげて、車の中でたくさん泣いた。
引っ越してから、私はNちゃんと文通を続けた。
転校先で常に仲間外れにされがちだった私には、ポストに可愛い封筒が届くのが一番の楽しみだったし、離れてるけれど私にはちゃんと素敵な友達がいる。
それが心の支えだった。
Nちゃんはとても可愛くて何でもできる子だったので、楽しい学校生活のこと、成長するにつれて初めての彼氏のこと、テニス部で部長をしていること、保育士になりたいという夢のこと。
順調な青春をきれいな字で書き綴ってくれた。
一方の私はといえば、何を書いていたのかさっぱり思い出せないのだけれど、
そんな輝いた青春はなく、ツイッターを見てくれてる人ならご存知だろう。頭の中にしょうもないことがいっぱいなので…おそらくそんなことばかりを書いていた…のだと思う…ごめんなさいNちゃん(土下座)
さて、携帯電話の登場で手紙はメールになり、大学生になる頃には私の方も少しずつ自分の居場所とささやかな青春を得たことにより、やり取りは減っていった。
それでも、お互いの誕生日にはプレゼントを送り合った。
「そうだ、会いに行こう」
ある日唐突にそう思い立ったのは、大学卒業も間近のこと。
就職したらもうこんな機会もない気がすると思ったのだ。
早速連絡を取って、私は電車に飛び乗った。
行動力のない私にしては思いきったアクションだった。
今から簡単には会えないあのはるかな距離を越えて会いに行くんだ。
すごくドキドキしながら切符を握りしめた。
(…思ったより早いな…?)
電車は、意外とすぐに目的地に到着した。
快速ってすごく速いんだな。
やや戸惑いながら電車を降りると、そこにはすらりと美しく成長したNちゃんが迎えに来てくれていた。
そのまま車で昔住んでいた団地を見に行ったりらおうちへお邪魔してたくさん話をした。
文通を続けていたおかげだろうか、話が尽きることはなかった。
あっという間に時間は過ぎ、夕方になる。
そろそろ帰らなきゃというタイミングで現れたのはNちゃんの弟。
「あ、オレ車で送るよ」
ええ!いいの?遠いよ?!
思ったより近かったけれど、それでも遠いよ!?
言葉に甘えて弟くんとNちゃんと私で車に乗り、家に着いた時、
私もNちゃんも、ポカンとしていた。
「…もう着いたね…」
「早いね…」
「…地球の裏側くらい遠いと思ってたよ…」
「うん、私も…」
車で二時間足らずだった。
それもそのはず。
隣合った県の東部と西部なのだから。
「…なんだ、近いんじゃん…!」
「ほんとだね…!」
「びっくりしたー!」
「どういうこと!」
みんなで笑いながら今度は家に招いて少しお茶をした後、Nちゃんと弟くんは帰っていった。
なんということだろう。
二度と会えないかもしれないと思い込んでいた距離は、私が通学で毎日移動している距離より短いくらいのものだった。
笑っちゃうけど、少し調べればすぐわかることだったけれど、
それでも、小さかった私たちにとってこの距離は遠くて遠くて、実際に地球の裏側くらい離れていたのだと思う。
小さい頃には大金だった五百円玉が大人になったら一瞬で消えてしまう額になったように、
あの頃の遥か遠くは少し足を伸ばせばすぐ着く場所になったのだ。
子どもの感覚って大きいんだな。
そして大人になるって便利だな。
そのことが面白くて、少し寂しいな。
予想通り就職してからは互いの人生に忙しく、Nちゃんと会ったのはそれが最後だ。
お互いに三児の母となり、誕生日だけLINEを送り合っている。
正直今でも私は彼女が地球の裏側くらい離れた場所に住んでいる気がしてならない。
きっと、これからも。
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