見出し画像

あの日の私は知らず知らずのうちに父とさよならをしていた

父の様子がおかしい、認知症の疑いがある、と聞いていた。

認知症。
物忘れや勘違いがひどくなったり、怒りっぽくなったりして、とにかく周りの家族が大変なイメージだ。

でもまだ人がわからなくなったりはせず会話は出来るというし、父はいつものようにのんきに酒でも飲んでごろごろして、たまに変なことを言うのだろう。
父とは相性の良かった私が行けば少しは気が晴れたりするかな?

そんな風に思いながら、半年ぶりの帰省をした。

父はいつものように軽く笑って私を出迎えてくれた。
なんだ、元気そうじゃないか。
ただ少し痩せていて、動きが鈍くなり、
そして、会話をすると明らかにおかしかった。


自分の居場所がわからなくなっていた。
せん妄と現実がごちゃ混ぜになって、そこにいない誰かの存在や、自分がいるべき場所ではない場所にいる(ように感じる)ことに脅えていた。

生活上の失敗を場所や設備がおかしいのではないかと疑って何度も私たちに説明を求めるけれど、誰も父の望む答えは出してあげられなかった。

優しい性格の父だ。怒ったり人を責めることはせず、ただただ一人で夢と現実の境目にいるような感覚に戸惑い続ける、不安げな老人がそこにいた。

どんなに優しくしても、手を握っても、言葉を尽くしても、届かない場所に父は行ってしまったことがわかった。


これからたくさん考えなきゃいけないことがある。
包括支援センターには連絡してあるからこれから認定を受け、どれくらい支援が受けられるだろうか、一緒に暮らす家族の負担やメンタルのこと、離れて暮らす私が出来ること。

母や妹の苦労話も聞くように努めて、今後のことを話し合った。
冷静に、悲観的な雰囲気にならないように。

気が張っていたのだと思う。
翌日、支えになるからねと家族に笑顔を向けて私は実家を後にした。


帰り道の車の中で、ぐるぐると考えた。

父はあんな孤独と不安と混乱の中で今後、恐らくは死ぬまで、生きなければならないのか。
なんと酷なことだろう。

せめて、この状態になるまでの人生をちゃんと謳歌しただろうか。楽しいこと、嬉しいこと、この世の美しいものを目一杯たくさん享受しただろうか。
そんなことでも考えなければ胸が張り裂けそうなくらい、父があまりに、あまりに○○○で。


ツイッターで呟いたことがあるが、感情は
妖怪や物の怪のようなものだ。
とらえどころがなく消えたり現れたりして実に所在なく、私を振り回す。
ファンタジーの世界には、精霊や妖怪の名前を呼ぶことで使役できる設定がたくさんある。
同じように、感情に名前をつける、言葉で表すことでやっと暴れる感情を自分の気持ちとして抑えたり整理することができるのだ。

そしてたどり着いた父に対する感情の名前は

「可哀想」

父が、可哀想。


瞬間、涙が止まらなくなった。
せっかくとらえた感情の名は、私の手にはあり余り、とても使役などできそうになかった。


半年前のお正月。

その頃はまだ新型ウイルスも国内には広がっておらず、いつものように普通に帰省をした。
相変わらずごろごろして酒ばかり飲む父に少しは体動かさないとボケるよ!と軽口を叩いて、一泊していつものようにまたね、と手を振った。

あの日、私は知らず知らずのうちに父とさよならをしていたのだと気付いた。

またね、の「また」は、あるけれどなかった。


仕事人間で、家のことなんか何もしなくて、趣味はパチンコで、でも絶対母のこと悪く言ったりしないし、気ままでおおらかで優しい、のんき者で酒好きの、東北訛りがいつまでも抜けない私のお父さん。

先日見た不安げな父の表情が脳裏に浮かぶ。
あの中のどこかにお父さんはまだいるのだろうか?
いるとしたら今後たまにでも会える瞬間があるのだろうか?
きっと望みは薄い。

いつの間にかさよならの向こう側に来てしまった私たち家族に悲しむ暇はあまりない。
だから、今のうちに泣いておこう。
そう思って泣き始めたら、涙は枯れずに一日中流れ続けた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?