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スカートリフティング

"スカートリフティング"、直訳で"スカート捲り"。僕はやった事ないですが、幼稚園児や小学生の時に女子のスカートを捲って逃げる男児(通称クソガキ)がいる描写、よくありますよね。平成令和であまり見たことは無いけど、昭和時代は良くあったらしい。てかたぶん今やったらめちゃくちゃ炎上するやろあれ。

山田亮一によると、このスカートリフティングは恋愛ソングであり青春パンクらしい(ツイキャスで言ってた)。初めて聴いた時は歌詞の意味も分からず、恋愛ソングとは掛け離れた存在だと思っていた。掛け離れたというかシンプルに歌詞の意図が汲めなかった。そもそも一つ一つの熟語が難しいし、比喩だとか暗喩が多すぎて頭が追いつかない。小さい頃からもっと本読んどきゃ良かった...。てなわけで僕の大好きな曲、バズマザーズのスカートリフティングについてです。良かったらまず先に聴いてからこのnote見てみてね。

根暗で陰キャな僕達は、陽キャ達を尻目にクラスメイトの中で「誰が可愛い?」だとか「アイツはありっちゃあり」などと、身の程知らずも甚だしいが女子の顔ランキング付けなどを相も変わらずしていた。まあそれはガキならではのそれで、全員とは言わないけれども多数が経験していることだろう。そして、その僕達陰キャに「ありっちゃあり」に認定された陽キャグループでもなくスクールカーストの上位にも位置していない程よい層の女子が、千時間前とどこか異なっている。千時間前というのは約1ヶ月。夏休み前と夏休み明けで彼女の様子がどこか違う。色気付いたというか、今までしていなかった化粧をして、唇は紅く染まっている。それを"貞操の返り血"と比喩できる山田亮一の脳内がとんでもないんですけど...。ここまで「ただ少女の唇にリップが塗られている」という事実を官能的に、知的に、生々しく表現できるのエグくない?

山田亮一が表現したいのは、小さい頃あれ程スカートを捲られる事に抵抗して怒って男子を追いかけ回していた少女が大きくなるに連れて、恋愛を経てこの僅か1ヶ月で一部の男に対してのみスカートを捲られることを許容するように変わっていった。ものの数年で僕達子供は成長、そして考えが変わっていく。許容するどころか、寧ろそれを幸せと受け取るようになっていく。しかし僕達根暗陰キャーズはそれに気付かない。その子が夏休み明けに色気づいている事に対して違和感だけが残る。僕達は考える。そしてようやく気付くことになる。"誰があの娘を女にしたか"と。

以上を踏まえて山田亮一はこれが恋愛ソングだと、青春パンクなんだと豪語して幕は降りた。だから、"袋綴じ破れた俺を見る"とか、"毎秒、磯野家の群像を冷視している週末のようです"の解説はなかった。個人的に前者は、ずっと分かり得なかった、秘密にされていたその子の千時間を知ってしまったと落胆し、焦燥する様子で、後者はそれに伴って"磯野家の群像=サザエさんの放映日"、即ち日曜日にサザエさんを見て月曜日が来る鬱状態のそれが毎秒続いてしまうくらい衝撃だったことを表しているのではないかと思う。

だから最後に、

誰か俺の真っ白い夏も
児童の塗り絵みたいに塗っておくれ
狂騒に駆られた俺を見る
達観でもした様な女の眼

スカートリフティング / バズマザーズ

と、恋愛をしてこなかった僕達がランキング付けして「ありっちゃあり」などとふざけた会話をしている間に、彼女は恋愛的に僕達よりも一足先に行ってしまった。今になってその夏を取り返そうと彼女に追いつこうとするがもう遅く、その「ありっちゃあり」と下に見ていた彼女に逆にこちらを達観して冷たい眼で見られることになる。



いや〜〜〜山田亮一すげえよ〜〜〜。クラスの端っこで陰キャ数人で固まってクラスメイトの女の子の格付けして、夏休みが明けたらその子がやけに色気づいていて、自分たちが置いてかれた、下に見ていたその子はもう恋愛的にも人間的にも遥か上に、先に進まれていて今更焦る陰キャ男子達の画が手に取るように想像出来るもんね。一気にこの曲大好きになりました。つかそもそも音楽としてカッコ良すぎて、歌詞を見ると更に良くて、まんまと山田亮一の策にハマってしまっているなぁ...と思ったりなどしました。おやすみ。また今度ね。

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