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選択肢の多さがもたらす光と影。デンマークでみた「幸せ」の定義

「幸せ大国?」デンマーク

デンマークをはじめとした北欧諸国は「幸せな国」「超社会福祉国家」「洗練された暮らし」といったワードが想起されることが多い。たしかにデンマークは国連が発表している「世界幸福度ランキング」で上位常連国だし(2019年はフィンランド1位、デンマーク2位)、国民が払った税金はしっかりと教育・医療の場に還元されているし(大学院まで無償・病院も基本無償)、北欧家具はかわいい。実際に今デンマークで暮らしているが、日本にいた時と比べて時間の流れはゆったりと感じ、日々"充分"な暮らしを味わうことができている。

一方で、「デンマーク=幸せ大国」の方程式に危うさを感じているのも事実だ。当たり前だがデンマーク(や他の北欧諸国)に来れば幸せになれるわけではない。

やはり100%うまくいっているユートピアは存在しないわけで、それぞれの国や地域で個別の問題が存在している。ここ数ヶ月の間、デンマークの若い友人たちとの会話で得た気づきを記しておきたいと思う。

選択肢の多さから生まれる葛藤

'' デンマークは「世界でもっとも幸せな国」と描かれることが多いけど、実際どうなの?

デンマークに住む人々に絶対聞こうと決めていた質問だ。何人かのデンマークの友人(20代半ば〜後半)に聞いてみると、大きく2つの反応がみられた。「え、私たちって幸せな国の住人なの?」ときょとんとした反応、「あーーそれね……」と食傷気味な反応。いずれにしても彼ら自身は「幸せ大国の住人」であるとはあまり認識していないようだった。

その後の回答は、面白いくらいに一致した。

デンマークでは誰しも平等に教育の機会を得られる。すごくありがたいし、そういう意味で幸せだと感じるよ。自分が望む勉強ができるし、自分が望む仕事を選べる。つまり選択肢がたくさんあるんだ。でも、多くの選択肢から「たった一つの選択」を選びとる行為は、ときどき苦痛に感じるよ。

私たちはデンマークのポジティブな面を見ようとしすぎていたのかもしれない。表には出ていないだけで、彼らは彼らで固有の悩みやネガティブな側面も抱えている。例えば、デンマークの若者の間でアルコール依存症は長らく社会問題になっているようで、ある友人は「自分で人生を選び抜かなければならないプレッシャーが一つの要因になっているのでは」と考察していた。

100種類あるケーキの中で一つだけ食べられると言われたら、なかなか選べないでしょう?私たちは常にそんな環境に置かれているの。

贅沢な悩みと思っただろうか。でもよく考えてみてほしい。多くの選択肢が提示される世界では、「選ぶ」行為は「他の輝かしい選択肢を捨てる」ことを意味するのだ。

私たちは「何も持っていないこと」が不幸だと思いがちだけれど、「持ちすぎていること」も時に幸せの弊害になるのかもしれない。

「幸せ」はあなたの中でしか決められない

勘違いしてほしくないのだが、デンマークの友人たちが自分たちの環境を悲観しているのではない。彼らはもう一つ、共通言語を持っている。

Your happiness comes from yourself. (幸せは自分の内側で決まる)
「私の幸せは、国や他者が与えてくれるものではない」ことは心得ているかな。私にとっての幸せは、私の中でしか決められない。だから幸せの定義も人によってまったく違うと思うよ。

デンマークの政府は国民に平等な教育機会、健康に暮らすためのセーフティーネットを提供している。そんな物理的に恵まれた環境の中でも、精神的な「幸せ」は外からやってくるものではないことを彼らは気づいているのだ。

数ある選択肢からたった一つ、自分の人生に最もふさわしいものを選び抜くには思考力と体力とが必要で、相当なエネルギーを使うのだろう。そのプロセスを経て、彼らは彼らなりの「幸せ」を定義していくようだ。

自分なりの幸せを知る「余白」

デンマークのすごいところを一点挙げると、選択肢の多さから生まれる問題を国民一人ひとりが理解し、国が手を打っていることだ。

例えば今私が通っているデンマーク発祥の市民学校「フォルケホイスコーレ」。もともとは貧困層農家の人々に教育の機会を提供するために設立された教育機関だが、今は主に大人のための生涯教育・民主主義教育の場として活用されている。「大人」と書いたがメイン層は高校卒業もしくは大学卒業直後にギャップイヤーをとった若者たちで、彼らが進路の決断に迫られる時期にもう一度自分と向き合い、幸せに感じることや興味のあることを探す場として機能している。人生の選択に迷うタイミングを見越して、立ち止まれる余白を意図的につくっているのだ。

一方でフォルケホイスコーレでの生活は自由度が高いため、自分の幸せや興味を見つけられるかは自分次第。余白の期間をどう過ごすかも、ある意味選択のひとつである。

「幸せ」を選びとる勇気はあるか?

ここでもう一度、自分に投げかけてみる。

ありったけの選択肢のなかで自分なりの解をたった一つ、選びとる勇気はあるだろうか?

正直、わからない。日本社会の中で「自分の生きる道を選びにくい」課題に義憤を抱いていたはずの私はデンマークに来てから少し混乱している、というのが正直な感想だ。

だが日本も少しずつ職業選択、結婚などあらゆる側面で「自分で選べる」社会に変わりつつある。変化のプロセスの中で、自分の納得解を導き出せるのだろうか? 選択肢が増えると同時に、選ぶ行為に消耗する人が増えていく可能性もある。

そう思うとデンマークの友人たちが言っていた「幸せ」の定義や、自分の内側と向き合う余白の設計は、未来の私たちが幸せに生きるためのヒントになるのではないかと考えている。

「幸せ」は自分の内側に眠っているのだから、じっくり、ゆっくり育てていきたい。

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