大谷派と政治

どうも寺の子、紅葉です。
1600年ごろから続く大谷派の寺の孫であり子です。宗教Ⅱ世という言葉が流行ってますけども私は宗教ⅩⅤ世くらいになりそうです。
さて、私の宗派は浄土真宗大谷派、京都でいうならお東さんです。東と言えば東本願寺、世界でもっとも大きな木造建築であり、京都駅からもっとも近い観光地(勝手に呼んでるだけですね)になります。
浄土真宗の歴史を簡単にまとめると、宗祖である親鸞が浄土宗の宗祖法然に学び開いた宗教でいわゆる鎌倉仏教のひとつです。設立当時は時の朝廷と対立し親鸞は流罪になります。しかし、流罪になった先の越後で布教を続け、親鸞の死後、弟子達によって確立され今に至ります。
私が気になるのは、なぜ弾圧されたかです。
理由として後鳥羽上皇の女を法然が奪ったということがあるらしいです。しかし、私は浄土宗特有の考え方が原因のひとつであると考えます。他の宗派が唱えなさい出家しなさい貢ぎなさい踊りなさいだった時代に、阿弥陀如来を信じなさい、さすれば必ず救われるなんて楽な考え方が民衆に浸透したら従来の宗教は信者が減るに決まっています、それを防ぐために流罪にしたのではないかと思います。
ところで、東本願寺の広大な境内、歩くと端まで何分もかかるほどの大きさがありますが、これは1602年に徳川家康から譲り受けたものです。鎌倉時代の朝廷とは対立していても、徳川家康とはある程度の仲があったのでしょう。私の寺が宗派替えしたのもこの頃の話らしいです。東海地方には大谷派の寺が多いですが、これは家康が保護したためではないかと思います。父がいうに、幕府は大谷派の寺を保護し、大谷派の寺は戸籍作成のために門徒の情報をまとめたらしいです。徳川幕府とは上手く関係を築いていたようです。
つづく、、、かも。

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