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【小説】蝶はちいさきかぜをうむ その8



おばあさんは気球生まれの気球育ちの
気球っ子です。

そのためか、空に近い高いところが好きなようでした。


おばあさんの姿が見えなくなると、
おじいさんはお機械さまのてっぺんを見上げ、
てっぺんからおばあさんの足がぶらぶらとしているのを確認して、ごろりと草原に横になります。


おばあさんは、ひょいひょいとお機械さまの壁を登り、てっぺんの窪みに座って空を見るのが好きでした。


そうして高い場所にいると、まるで自分が空に溶け込んだような気がして、目を閉じて両手を広げます。


鼻の奥が少しひりりとするような上空の冷たい風を胸いっぱいに吸いこんで、大きな声で

△▽×※ー!!!

と叫びます。

おばあさんの膝でゴロゴロ言っていた翅無猫がびっくりしておばあさんの肩に駆け上がってきました。
目をまんまるくしてひしっと肩にしがみつく翅無猫を見て、おばあさんは大きな声で笑います。



おじいさんは大の字に寝転がって空を見ながら
おばあさんの笑い声を聞き、胸の奥があたたかくなるのを感じて、いつの間にか自分もわはははと笑ってしまうのでした。






ある日、朝からおばあさんは眉毛をくっと寄せたままカウチに座り、ちっとも動こうとしませんでした。

いつもなら3杯ぐびぐびと飲んでしまう
お気に入りの干草コーヒーも、その日はコップの半分も飲んでいません。


ばちっ!

「あっつ、いたた。だ、だいじょうぶか?」


どこか具合でも悪いのじゃないかとおじいさんが肩を触ろうとすると、ばちっと静電気が走りました。手を少し湿らせてそっと額に手を当ててみると、焼けるように熱いのでした。


おじいさんは急いで干していたシーツを取り込み、寝床をこしらえておばあさんを寝かせました。


井戸から桶いっぱいに水を汲んできて、
濡らした布でおばあさんの額を冷やしたり、
じっとりとかいている汗を拭いたりしました。


おじいさんは指笛を吹き、仲良しの翼馬に来てもらいました。
森まで出かけて薬草を探しに行くのです。



おじいさんは手早く、高熱を出したままふぅふぅと寝ているおばあさんの枕元に、
水をいれたコップを3つと切込みを入れた月蜜柑2つと干し空苺を山盛りに入れた木皿を置きました。

もし探しに行っている間に熱が下がったらお腹が空くかもしれないと思ったからです。




そうしておじいさんは森に大急ぎで向かいました。


森に着くとまず、持ってきた干し草桃を腰にぶら下げた袋から出して、



「おおーい!お願いがあるんだ。助けてくれないか?」


と叫びました。




すると、森の奥からさわさわさわさわと
草や枝葉をかき分ける音が近づいてきました。


おじいさんの前の岩の上には十数匹の豆猿が、
大きな目をくりんとさせながら集まっていました。



「おばあさんが、熱を出してしまったんだ。
この森に薬になるものがあれば、教えてくれないか?」


おじいさんは豆猿たちに必死に頼みました。

豆猿たちは きゅぅ きゅぃぃ と鳴きながら
何か相談し合っているようです。

ほどなくして他の豆猿よりもひと回り大きな豆猿がトトトと近づくと
おじいさんの干し草桃を受け取って

きゅぅん

と言ってくるりくるりと宙返りをし、
トタタタタっと走り出しました。



少し先の木の枝まで行くとおじいさんを振り返り、また宙返りをして

きゅぅん

と鳴きました。



「あ、ありがとうぅっっっ!」


おじいさんは豆猿を追いかけました。


藪の中をかき分け、低木のトンネルを抜けて、
必死に追いかけました。


やがて、サラサラと小川が流れる開けた場所に出ました。

豆猿は岩場に咲いている真っ白な花の前に集まってぴょこぴょこんと飛び跳ねています。


「これ、なのか?」


見ると辺りには、その白い花がたくさん咲いていました。


おじいさんは持ってきた大判のスカーフを拡げて無心になって白い花を摘みました。



「ありがとう。本当にありがとう。
きっとまた、君たちの好きな干し草桃を
たんまり持ってくるよ。」



おじいさんは豆猿たちに腰にぶら下げた袋いっぱいの干し草桃を渡してお礼を言い、
また急いでお機械さまの元へ帰りました。




おばあさんは、お水をコップに半分だけ飲んだようです。

おじいさんはかまどで湯を沸かし、刻んだ白い花を煮出したものをおばあさんにスプーンで飲ませました。


それからひと月ほどおじいさんの看病は続きました。


おばあさんは少し熱が下がりましたが、
以前のように飛び跳ねるような元気は戻っていませんでした。
拗ねたように唇をちょっと尖らせてベッドで一日中過ごします。
それでもおばあさんは熱があって苦しいときも、おじいさんが心配そうに顔を覗き込むと、いたずらっぽく笑ってウィンクするのでした。







ぴっぴぱーらっぱっぱっぱ
ぴーぷるるる ぱっぽーん


どこからか陽気な音楽が聞こえてきました。



「気球商団…?気球商団だっ!」


おじいさんはばたばたと転びそうになりながら
外へ駆け出しました。





草原のあちこちに大小様々な気球が降りています。以前来た時よりも、一層きらびやかで数も多く、団員も増えたようでした。


もしかしたら、お医者さまもいるかもしれない……!

おじいさんはキョロキョロと大勢の商団員を見回しました。



「やあ、こんにちは。しばらくご厄介になります。よろしくお願いします。」


現在の商団長らしき背の高いほっそりとした男性が挨拶に来ました。



「どうぞどうぞ、ゆっくりしていってください。これはまた、随分と大所帯になりましたな。

もしかすると、お医者さまもいらっしゃいますか?」

挨拶もそこそこにおじいさんは一縷の望みをかけて商団長に聞いてみました。


「だ……誰か具合でも悪いんですか?」

ゆっくりと頷くおじいさんの唇はぎゅっと噛み締められ、ふるふると小刻みに震えています。



団長は、これは大変だという風に、
あっちへこっちへ走り回って医者と通訳を連れてきてくれました。


奥の部屋ではおばあさんが苦しそうにふぅふぅと息をしながらベッドに横になっています。
おじいさんは診てもらえるだろうかと不安になり、商団長たちを振り返りました。

「さあ!早く診てあげてくれ!さあ!早く!」




突然の商団長の剣幕におじいさんはびっくりしました。

おばあさんがうすぅく目を開き、商団長を見て
ふふふと笑い、弱々しい声で何か言いました。

眼鏡をかけた通訳も何やらおばあさんと挨拶をしています。
先ほどは心配で胸がいっぱいだったので気がつきませんでしたが、この通訳は若かりし頃に一緒に翼馬で草原を駆けた、あの通訳でした。


どうやらおばあさんと商団長、通訳は知り合いのようです。

生真面目そうな医者らしき人が通訳を押しのけて何か言いました。
診察に入るようです。


いままでひとりでどうしたらいいのか、とにかく必死だったおじいさんはお腹の中できつく縛られていた紐がゆるむような感じがしました。
あたたかいものが胸いっぱいに広がります。


「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします!」




通訳がおじいさんから話を聞き、医者に伝えます。おばあさんと医者は言葉が通じるようでした。

ゴム手袋をぴっちりと嵌めて、神妙な面持ちで診察を進めていきます。

最後にゴム手袋を外して、おばあさんの背中に触れようとすると

ばちんっ!

と、ねずみ色の火花が散りました。
医者は何やらうむうむと頷いています。


「ど、どうでしたか?一体どこが悪いんでしょうか?」

通訳が丁寧に通訳してくれます。


「…これは、熱電病のようです。
なにかこう、強い電流や静電気があるようなところに頻繁に近づくことがありますか?」


さーーーーっと血の気が引く音が聞こえました。


お機械さまのてっぺんには強力な静電気を帯びた球体があります。
おばあさんはその近くによく座っていたからです。


「はい。あります。…あの、それで、どうしたら…どうしたら治りますか?」



「この病気は、身体の中に溜まってしまった電気を移し替えなければ治りません。
電気の受け皿の“電池”に移し替えるのが一般的ですが、見たところ、ここには電気や電池はないようですね」


「じゃ、じゃあ、どうすれば…」


「端的に言えば、ここでの治療は無理です。電気のある町へ搬送し、そこで治療をするしか方法はありません」


「で、ですが先生、この草原は気流と間欠泉で、外に出れば戻ってくることができません。
町へいってしまえば、妻は、ここへ、戻ってこれなく…なる…」

おじいさんの背中を冷たい汗が流れました。

「はい。どちらを選ばれるかは、おふたりの自由です。ここで出来ることは、この電線点滴を施し、徐々に電気を逃していくことくらいです。
けれど、ごく微量の電気を逃がすことしかできないので、根治は無理です。
まあ、言い方はあれですが、苦しみを減らす気休めといったところです。
ですが、それをやらないより、やる方が御本人も格段に楽になるでしょう」


そう言って医者はカバンから銅線と点滴針を取り出して、おばあさんの肘に点滴を取り付け、銅線を針につなぎ、その銅線をベッドの金属フレームに接触させました。おばあさんの呼吸が少しだけ穏やかになります。

「あ、ありがとうございます…ちょっと、外へ、その、ちょっと、はい、あの、ええ、行ってきます…」



目の前が真っ暗になったかのようでした。
おじいさんはふらふらと草原へ出て、
ばたりと大の字になり、頭をぐしゃぐしゃとかきむしったまま両手で顔を覆いました。



なんで気がつかなかったんだ。
あんなにも強い静電気の近くにいたら病気にもなるだろう。
俺は、番人なのに…
俺は、俺は…


おじいさんの目からは湧き出る泉のように
こんこんと涙が溢れて止まりませんでした。






「あの、ちょっと、いいですか」


どのくらいの時間そうしていたのか、
辺りはうす暗くなり始めていました。

商団長が眉毛を八の字にして心配そうにのぞきこんでいます。



「あ、ああ、これは失礼しました。
何かご入用なものでもありますかな?」

おじいさんは草を払うふりをして涙を拭いながら立ち上がりました。


「いや。それより、お、奥さまのこと、です。
50年前の記録では、あの崖の向こうの街には電気があるそうです。
だから、きっと電池もあるでしょう。」


おじいさんは、ふんふんとうなずきました。


「もしよかったら、奥さまを、私たちの気球に乗せ街の療養所へお連れしましょうか?もしよろしければ、あなたも」


「……それは……。」


おじいさんは、ぐっとお腹が締め付けられるように感じました。

おばあさんは、ここにいたままだと治らない。
街へ行けば治療が受けられそうだが…


足先の綿雪花がユラユラと手を振るように揺れています。


おじいさんは覚悟を決めたように顔を上げて言いました。


「大変ありがたいお申し出です。お言葉に甘えてお願いします。」


「それでは、荷造りなど、」


「ですが、……妻だけ、お願いしたいのです。」


商団長は、戸惑ったような顔をします。


「でも、それではもう……」


おじいさんはゆっくりと深呼吸をして、商団長の目をまっすぐに見ながら言いました。


「もう、会えないだろうということはわかっています。ですが、私は“番人”なのです。お機械さまを離れることはできません。

それに、“番人”であるということは、“村長”であるということでもあります。
“村長”が村を捨てることはできないでしょう?
もう、村の人々はいなくなってしまいましたがね。」


そうして力なくふふふと笑うと、
涙をいっぱいに溜めた優しい目で


「私は、彼女がまた元気に笑ってくれるなら、あの鈴のような笑い声がどこかで響くのだったら、それだけで幸せです。」


と言いました。




遠くで商団員たちが奏でる陽気な音楽が響いています。






「…お願いします。連れて行ってやってください。お願いします。」




おじいさんは深々と頭を下げました。




そうして気球商団が街へ飛び立つ日、
お金を持っていなければ治療してもらえないかもしれないと心配だったおじいさんは、
部屋の奥の鍵付きの引き出しを開け、
お機械さまの大切な部品である金でできた蕾を柔らかい布に包んでおばあさんに持たせました。



「…元気になっておくれ。また、笑っておくれ。」



おばあさんは、すみれ色の瞳に涙をいっぱいにためておじいさんの手をぎゅぅっと握りました。




















作  なんてね
     ちょっぴりあんこぼーろ

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