(うんちく)なぜ1年は12か月で、時計は12時まで?答えはシリウスのせい?

チコちゃんでやっていたのが感動したので書いてしまいます。

まず①なぜ1年は12か月なのか?

古代エジプトはナイル川が増水(氾濫)する時期が大切だった。エジプト人はそれは決まった時期に定期的に増水すると気づいた。そこで星を観察して時期を特定しようとした。

星というのは地球の公転で1年をかけて夜空を一周してもとに戻る。
そこである方角を決めてそこにある明るい星を基準星と定めて、10日ごとに同じ時間同じ方角の明るい基準星を決めていった。すると36個と5日で元に戻ることが分かった。つまり1年は365日だと分かった。10日を3つ、つまり30日を一区切りにしたら便利がいいので30日の区切りを1か月としたら12か月+5日で1年ということになる。これが1年12か月の始まりだそうだ。また、偶然にも古代中国では月の新月→満月→また新月が約30日なので30日を1か月として(月という語源)、12か月+うるう月で1年と定めた。なんたる偶然か。ちなみに10日区切りにして1か月上旬、中旬、下旬としたのもエジプト・中国の奇妙な一致だ。

②次になぜ時計は12なのか?
ナイル川が増水するのは大犬座シリウス(惑星をのぞいて夜空で一番明るい星)が日の出前に水平線から登って来る時期だと気づいた。
ここからがお立合いです。その時期の日没に水平線にある基準星から日の出直前に水平線から登ってくる基準星のシリウスまで基準星は数えたら12個でした。この重要な時期の12個が重要視され、夜を12等分し12時間としました。
 夜を12時間としたのちに、日中も12時間としました。これで1日24時間になりました。活動する日中、日の出から日没まで12に分けて日時計をつくりました。
 ここで気づいた人、疑問に思った人もいるでしょう。そうです。古代エジプトは日の出から日没まで12等分したので1時間が夏は長く、冬は短いのです。これを不定時法と言っています。

 これは実は、日本の江戸時代全く同じでした。
 江戸では時の鐘というのが浅草寺、寛永寺、増上寺など9か所あって、人々に時を知らせていた。時間は水平線から太陽が昇る小半時前(約30分前)が明け六つといい、太陽が沈んだ小半時後(30分後)が暮れ六つとして日中を6等分して鐘をついていました。1日でいうと全部で12刻ですね。呼び方が面白くて、明け六つから始まり朝五つ、昼四つ、昼九つ(正午)、昼八つ、夕七つ、暮れ六つ。そして宵五つ、夜四つ、夜九つ、夜八つ、暁七つ。
 江戸時代は日の出前から日没後を6等分して全部で12等分していた。なので日中は夏が長く、冬が短いのです。
 小さい頃冬は5時に帰りなさい、夏は7時までいいですと言われていました。日本は今も不定時法の名残みたいな文化が残っています。欧米ではサマータイムを作ってガチガチに時間を統制しようとするので無粋ですね。

 はい。もとに戻します。古代エジプトでは一年12か月にしたのは理にかなっていますが、1日12時間と12時間の24時間にしたのは12か月とは全く関係なく単なる偶然で12になりまして、それはシリウスが見える時期に基準星が12個夜見えるからという理由でした。シリウスが日の出直前に顔を出すのは7月だそうです。だからもし増水時期が春分秋分の日ころだったら18個くらい基準星が見えるでしょうから、18時間×2で36時間制になっていたかもしれません。

すべてシリウスのせいだったわけですね。


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