ピントのずれた、いわゆる「クソリプ」というものについて

 最近書いていないと思ったら、いきなり連投である。ちょっとムカつくことがあったので、なぜムカついたのかを整理しておこう。

 先日、「ひとモノガタリ」という番組に対して私が抱いた違和感について書いた。調理部が一丸となっておせちを作り上げ、最後に部員たちは顧問の先生に感謝するという感動番組である。

 しかし私はこの番組に違和感を覚えた。理由は「私には怒鳴られて何かを身につけた経験がないので、この先生のあり方には馴染めない」ということに尽きる。もちろんこれは個人的な感想であり、作りとしては「感動番組」なのだから、私のような意見を持つ方が少ないということも承知している。ただ、「違和感」の理由については言葉を尽くして説明したつもりだ。それに納得するかしないかはその人次第である。

 今朝、ツイッターを開いたら通知があった。見たら、先日のnoteの投稿に対する一種の引用RTである。私が「ハラスメント」と書いたことに対し「気の毒な方」とコメントしている。その人はあの番組に感動して涙したそうだ。

 まあ何に感動しようが泣こうが勝手だが、批判するなら1)その人の言いたいことを咀嚼する、2)それに対する意見を、根拠を示しながら言う、というのが最低限のルールだろう。それを一切無視して「気の毒な方」とは、大きなお世話だ。つまりこの人は「怒鳴られて何かを身につける」ことは有意義である、と思っているのだろうが、それならそれで、そのことをきちんと書かなくてはなるまい。あるいは、そういう手続きが面倒くさい、または文章をちゃんと読む気がない、ということで手間を省いて、ただ「自分が感動したあの番組にいちゃもんをつけるとは許せない」と思ったのなら、わざわざ書き手の目に触れるように引用RT などせず、こっそり書けばいいのだ。

 さらにしてはならないのは、書いた内容への批判が書き手の人格攻撃になる、ということである。「怒鳴られてまで何かを身につけたくはない」ことが「気の毒」だとは恐れ入る。私は、「人の書いた文章の意味も取れず、表面的な理解だけで書き手の人格を攻撃し、それにウサを晴らすとは貧しい精神の持ち主であり、気の毒だ」と思うが、ここで「気の毒だ」を入れてしまうと人格攻撃になるので、「文章を理解できないのなら文句を言うべきではないと思う」という個人的な意見表明に留めておく。(実はそのアカウントに返信しようかなと思ったのだが、どうせこちらのいうことを理解する気はないだろうし、時間のムダ、と思ったのでやめた。)いずれにせよ、相手の書いたことを理解せずにわざわざ文句を言うというのは敬意に欠ける行動であろう。



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