にんげんがきらい

一人ひとりの声のエネルギーがつよい

主張や意見、表現の濃さや強さ、そして数が増えたきがする。

今まで閉ざしていた人も発し始めたのかな。

イイコトかもしれない。

でもそれによって、色んなことや人への配慮が
薄れていっているきがする。

自分の声を発したいために
誰かや何かを知らずして傷つけていることも。

いまはメッセージや想いを受けとる余裕がないんだなあと思ったりして自分のこの悲しさや痛みを抑えている感じ。

目の前にいる人も、いない人の声も
あらゆる声が聞こえすぎて辛いんだ

とってもいま
悲しくなったり
こころが痛くなったり
辛くなったりするんだ

いたい。

あまりのパワフルさゆえに。

笑ってごまかしたり、ただ聞いてるだけのときも
表現しはじめた嬉しさもあるけれど
それ以上にしんどさがたくさん。

そんな彼らへ敵意があらわれている自分もいる。
悪気がないのは知ってるけどさ。

つながりを大切にしたい自分
どんな時でも配慮や尊重を求めている自分
こうやって思ってるんだよって嘆きたい自分

こないだいろんな声が聞こえすぎて
自分の声も聞こえすぎて
聞こえなくなったりもして
悲しみや困惑、苦しみすぎて

ふといる時や寝ようとしているときに
涙を流している自分がいた。

なぜ人間っているんだろう
なんて人間は愚かなんだろう
なんて人間はどうしようもないんだろう

って。

自分へのかわいそうというきもちも。

目の前では宴が行われて
楽しんでいる自分もいたけれど

心の奥では泣いていたり。

感情がめちゃくちゃだった。わかんないよ。

かなしすぎる。

感情を失いそうだよ。

二元論じゃないよね。循環。愛。つながり。

とかきづいてるのに、そうやって
自分の存在を示す、自分を守るために
自分は良い人と証明するために傷つける

都合良すぎるよ…

ああ、おろかすぎる。
自分も含めて、人のどうしようもなさや弱さへの
虚無感や脱力感にあふれた。

そしてこんなふうに思ってしまっている自分への
申し訳なさ、疎外感をかんじた。

主張をよわめていいんだよ。何もせずとも
あなたの存在は感じてるよ。こわがらなくていいよ。
発さずに、ただ感じてるだけでもいいんだよ。

無理してしなくていい。
素直な純粋なキモチが生まれたときにでいいよ。

この気持ちたち、ほんとはシェアしたい


でもこんなこと受けとってくれる人なんているのかな
何言ってんだって思われるかも
若いくせに…とか
周りに水をささないかなとか。

だから嘆かせて。ここで。ありがとう。