愛でて愛でられて、ぐるりと♡巡る
早めに夕食を終え、一息ついてのんびりしていてもまだ外は明るい。
夕焼けに反射した雲がすこしピンクがかってて、薄らいでいく空の色といい色合いを醸し出してる。
よく冷えたルイボスティーを飲みながら、今日見た紫陽花の花を思い出してました。
よく通る道に見事な紫陽花を咲かせる一角がある。わたしの背丈なんかより全然大きくて、両手を広げても足りないくらいの密度で咲いているのだ。
わたしの時間感覚では、その紫陽花はそろそろ萎れたり枯れたりして、多少茶色くなってきていてもいい頃なのだけど。
まるでここだけ時間が止まったみたいに、いつみてもみずみずしい。なんで?
今日はたまたま徒歩だったこともあり、わざわざ近くから紫陽花を眺めてみた。
ブルーともパープルともピンクとも言えない淡い色合いにしばし見惚れる。
この分だと、まだまだキレイに咲いてくれそう。
スターの裏に影の存在あり。
花がキレイに咲けるのは、根っこから十分な栄養を吸収できているからなんじゃないかな?
ふと思い立ち、屈んで根元を探ってみた。
なんと!地植えではなくて、やや大きめの鉢に植えられている。
経験上、鉢で育てると根が伸ばせる範囲が制限されてしまうので地植えに比べるとあまり大きく育たないんだけどな。
考えられるのは、根っこが鉢を通り抜けて地面まで伸びている可能性。
わが家のオリーブやデュランタの木もそうだった。
さすがにちょこっと覗いたくらいでは根の状態まで確認できなかったけど、信憑性は高そうだ。
子どもが調子悪そうにしているのを親がなんとなく察知してしまうように。
家庭の観葉植物も一見、同じ姿をしているようで実は微妙に異なる表情を醸していることにも気づけてくる。
喉が渇いていそうだな。
そろそろ栄養補給が必要かも。
そろそろ剪定して欲しい?
こちらの勝手な想像に過ぎない部分もあるのだろうけど。
人も自然の一部なわけだし。
一緒にいる時間が長いとついつい目がそっちに向いてしまう。優しい眼差しを向けずにはいられない。
これって愛なのかしら。
たぶんなんだけど。
見事な紫陽花を咲かせる一角は、ちょいちょい誰かに愛でてもらう機会が多いんじゃないかとも思う。日も当たるし、近くに数人のご年配のグループが玄関の前に椅子を並べて談笑している姿をお見かけするから。
そのうちのどなたかが気をつけてお世話をしてあげているんじゃないかな?(あくまで想像)
目を配る、手をかける、気にかける。
無条件に、そういうのって嬉しいものだから。
かといって、お世話に一生懸命になり過ぎてご本人がスポイルされることもあるけど。
絶妙な塩梅で、この紫陽花エリアを(こっそり)管轄している誰かがいらっしゃるのだとしたら。
その人は人付き合いの達人なのかも。
ほどよい距離感で、見守ったり、手をかけたり。
そういうのって案外、むずかしいから。
それとも、紫陽花ご本人(人じゃないけど)が自らにプログラミングされた通りに動いてたりするのかしら?それはそれで自然の叡智であり神秘でもあるなぁ。
それをさらりと。しれっと、しちゃうのですもの。
自然ってすごいね。かっこいい。
人間にもちゃんとそういう力があることを信じたくなります。
生きる力は自然の理として生物の中にちゃんと備わってる、かぁ。
お世話する⇄されるって、いつも入れ替わり立ち替わりで、育て⇄育てられをしているんだと思う。
自分で自分を育む力を養おう。
むくむくと生み出されるエネルギー。
そのパワーをどこかの誰かの何かに繋いでいけたら。
わたしもうれしい。
いただいたサポートは、わたしからどなたかへと再びぐるりと巡らせます。 ありがとうございます^^