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身近なひとが年をとるということ

義両親、つまり夫の父と母は健在で、今年の夏もうちの子どもたちを預かって見てくれるほどには元気がいい。けれどもやっぱり、今年より昨年、昨年より一昨年、もっと前に遡れば、今よりもっともっと元気だったよなあと感じることが増えた。

体を動かすのが前よりも億劫そうだなあとか、お酒の量が減ったなあとか、夜寝る時間が早くなったなあとか。一つひとつはほんの小さなことなのだけど、小さな気づきを集めてみるとつまりこれが「老い」なのだろうと理解せざるを得ない。

結婚して10年弱、義両親との付き合いもその程度のわたしですらそう感じるのだから、もっとずっと若い頃を知っている夫にとってみれば、それはどれほど寂しいことだろうかと想像する。

わたしには、そう感じる親がいない。子どもの頃に戸籍が別れた父とはずいぶん疎遠になっており、寂しいと感じられるほどの思い出も記憶もない。母は、とうの昔に亡くなった。母が亡くなったのと今のわたしはそう変わらない年齢なので、順当にいけばこの先はどんどんわたしの方が老けていくだけだ。

身近なひとが年をとり、老いていくのを見なければならないのは、もしかしたら自分が老いることよりも寂しいことかもしれない。年々小さくなる背中を見て「年とったなあ」と感じることと、感じられる相手がいないこと、どちらがより寂しいことなんだろうなあ。

なんて思う、お盆休み。

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