愛される才能
人生において最も大きな成功は、たくさんのお金を稼ぐことでも、ビジネスチャンスを掴むことでもなく、ただただどれだけの人から愛されるかではないか。
そんなことを、どなたかが言っていた。
それでいうと、わたしは結構な成功者じゃないかな、と思うのだ。
これは聞きようによっては自慢に聞こえるのかもしれないし、実際に自慢なのかもしれないけれど、わたしは昔からわりと可愛がられ体質だ。とはいっても、たくさんの友達がいるわけではないし、あまり目立つ方ではないので組織の中で目をかけてもらえるのも遅かった。だから、多くの人がぱっと想像する「愛され女子」とは、残念ながら全然違うのだけれど。
それでも、やっぱりわたしは人に恵まれ、親しい人たちに愛され、可愛がられて今まで生きてきたと感じている。
一時期、自分の「嫌われなさっぷり」が嫌でたまらなかったことがある。「嫌われる勇気」なんて言葉が流行り、誰からも嫌われない人間がとてもつまらない……というような考えにとらわれたからだ。
所詮わたしは、自己主張のできない(どうでも)いい人の仮面をかぶっているだけ。だから嫌われないだけであって、わたし自身には何の価値もないのだ、と。今振り返ると、ずいぶんとこじらせていたものだなと、恥ずかしくなる。
多くの人から嫌われないこと。なんとなく可愛がってもらえて、困っているときは「しょうがねえ、助けてやっか」と思ってもらえること。それの何が悪いというのか。ありがたさしかないし、そんな周りの愛情と優しさに包まれて、わたしはこれまで生きてきたのだ。
もっとも、これはわたしが勝手に思っていることだ。周りの人たちはもしかしたら、「可愛がっているつもりはない」と言うかもしれないし、ましてや「愛とか考えたこともない」と言うかもしれない。べつにそれでもいい。たとえ愚かな勘違いであったとしても、勘違いでお手軽にハッピーになれてしまうわたしの、なんと幸福なことか。わたしには、それだけで十分なのだ。
わたし自身には、秀でた才能も、研ぎ澄まされた頭脳も、輝かしい経歴も、自慢できるようなものはなにもない。それでもなんとなく、そこそこ幸せに生きてきたよなあと感じるのは、“愛される成功”がいつも手の中にあったからなのかもしれないね。
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