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溺れる

ああ、ダメだダメだ。やっぱりこんなの、向いてなかったんだ。

あまり大きな声では言わないけれど、わたしはしょっちゅうそう思ってはしょんぼりしている。何がって?もちろん、仕事のことだ。

ライターという仕事、フリーランスという働き方。もっと言えば、社会人として、この荒波の中で溺れずに生きてゆくこと。

そのすべてが、向いていないように思えてならない。

優しい人は「そんなことないよ」と声をかけてくれるだろう。そうかもしれない。世の中にはたぶん、わたしなんかよりももっと深刻に、生きづらさを抱えている人がたくさんいるのだろう。

それはわかっている。わかっていても、それとこれとはまったく別の話じゃないか。現にわたしは今、こうして、自分の至らなさってもんに打ちひしがれている。それがわたしのすべてだ。

向いていない。たしかにそうなのかもしれない。じゃあどうするの?と問いかけてみる。わたしが戻るところといえば、時給1,000円に満たないパートか派遣か契約社員。またあの、時計の針が進むのをぼんやり眺めて過ごす日々が待っているだけだ。

あんなのは、もうまっぴらなんだよ。座っているだけでお給料がもらえる。書かなければ1円ももらえない生活をしている今、それはともすれば幸福なことのようにも感じられる。でも、あんなのはもうイヤなんだよ。わたしは。

それならここで、もがくしか残っていないじゃないか。向いているとか、向いていないとか、そんなぬるいことを言っている余裕なんかないじゃないか。

向いてはいないのかもしれない。でも、イヤじゃないなら、たぶんもう少し続けられる。ていうか、続けるしか道がない。

よくライターになった理由を「それしかできる仕事がなかったから」と答えている人を見かける。わたしはなりたくてなった。決して消去法ではなく、望んでつかみ取ったから今がある。

けれど、他になにもできないという意味では、そう大きな違いはないのかもしれない。せいぜい溺れないように、みっともなくてももがくだけだ。


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