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記憶の扉が開き、あふれだす

15年。とちょっと前だろうか。わたしはこの場所へよく来ていた。

よく、なんて頻度じゃない。毎日といって良いくらい頻繁に足を運んでは、勉強したり、笑ったり、泣いたり、怒鳴られたり、殴られたりしていた。

わたしの青春時代が詰まった場所、そう言っても過言じゃない。無論、思い出したくもない青春時代なわけだけれど。

 

* * *

 

当時わたしは高校3年生。相手の彼も、同い年だった。彼は早々に推薦で進学先を決めていたが、わたしはといえばなんとなく、ダラダラと、受験勉強という名の逢瀬に時間を費やしていたに過ぎなかった。

時には、本当に会いたくて会っていたかもしれない。あの頃はまだ、わたしも彼に対して多少の愛情があっただろう。あいにく会いたくない、勉強に集中させてくれと主張する自由は与えられていなかったので、どうだったかは定かでない。

あの当時、わたしは自分の心というものにひどく無頓着だった。そんなもの、生き抜くためには邪魔でしかなかったのだ。

彼とわたしがつき合い始めたのは、高校3年の初夏。本格的な暑さはまだ先で、でも日は長くて、太陽の下に立っているとじっとりと汗ばむ。そんな頃だ。

彼は、最初のうちは優しかった。ひたすらに、ただひたすらに優しく、愛情を注いでくれていた。

彼はわたしにとって、はじめての「彼氏」だった。それまでにも恋はたくさんしたし、彼氏、と呼んでいいのかどうかもわからない相手もいるにはいた。

でも、18歳の夏。わたしははじめて恋愛をしたのだ。

まぁ、あれが健全な恋愛だったかと問われるととても怪しいのだけれど、そういうことにしておこう。本音を言うと、やや不本意だけれど。

あの頃から、わたしがとても不器用なのは変わらない。若かった分、幼かった分、たぶん今よりももっと不器用だったろう。次第に変わっていく彼を見て、戸惑いはすれど、何をどうしていいのかわからず悩むばかりだった。

いつの間にか、優しいかった恋人を「怖い」と思うようになっていたけれど、すぐに逃げ出すという選択肢はまだなかった。

この人はこのままではダメな大人になってしまう。
わたしがちゃんと導いてあげなくては。
それはわたしにしかできない。

そう思うようになった。

今にして思えば、なんと驕った考えだろうと思う。同時に、なんと愚かで浅はかなんだろうと思う。たかだか18歳の小娘に、人間一人を変える力なんてあるわけがないのに、彼を正しく導くことは自分の使命であるかのように感じてしまった。

 

* * *

気に入らないことがあると、大声で怒鳴り散らす人だった。それではいけないよ、あなたの言い分もあるだろうけれど、相手の気持ちも考えて。と伝えたが、怒りを増長させるだけだった。

はじめてわたしの体を殴り、青あざを作ったときも、「もう絶対にしない」という言葉を信じて許した。二度としないとうなだれたその顔は嘘を言っているようには見えなかったし、彼も事の重大さをわかってくれたはずだと信じていたからだ。

でも彼はその後何度もわたしを殴った。次第に謝ろうともしなくなり、「俺を怒らせるお前が全部悪いんだ」と繰り返し、「ごめん」とも「もうしない」とも言わなくなった。

何度も浴びせられた「お前が悪い」という言葉。それでもわたしは、おかしい・悪いのはわたしではなく彼の方だとずっと思っていた。「悪いのはわたしなのかも」とこれっぽっちも思わなかったことだけは、全力で自分を評価してあげたいと思う。

本気で「別れたい」と思ったときは、もう恐怖で逆らうことができなくなっていた。

あの頃、わたしはまだ18歳。子どもだったのだ。守ってくれる親はおらず、たった一人で育ててくれていた祖母に、恋人から暴力を受けている、助けてとはどうしても言えなかった。

奇しくも今日は9月1日、子どもの自殺が一番多くなる日らしいけれど、いじめの相談をできない子どもと同じ心境なのかもしれない。

 

* * *

ここに置かれている緑色の椅子は、当時のままだ。いつもわたしはここに座って受験勉強をしていた。機嫌がいいときは、彼も隣に座って参考書を開いていた。

ある日激怒した彼に、無理やり外に連れ出されたことがある。その状況がかなりショッキングすぎて笑えるエピソードなのだけれど、うまく文章化できないのでここでは割愛する。

席に戻ってこれたのは、数時間経ってからだったろうと思う。当然、その席には別の人が座っていて、置き去りにされたわたしの荷物はカウンターで保管されていた。

「席に置いてあった荷物、ありませんか」

人と話すのが死ぬほどイヤなくらい、泣きはらしてひどい顔をしていた。そんなわたしをギョッとした顔で見たと思ったら「長時間の離席はご遠慮ください」と。

したくてしたんじゃねえんだよ、さっき見てただろ。

心の中で毒づいた。世界のすべてが敵だと思った。他に何も言いようがなかったのは、わかるけど。仕方ないって、わかるけど。それでも世間は冷たいと思った。

 

* * *

 

15年とちょっとぶりに利用したトイレに「ストップDV」と書かれたマグネットが貼られていた。

当時、今ほどDVという言葉は知られていなかった。もしあの頃これを見ていたら、わたしは電話をかけただろうか?

……いや、たぶん無理。理由は簡単、仕返しが怖いから。

120%の身の安全が保証されなきゃ、動けない。守ってくれる人がいなくなった途端、どんなひどい目にあわされるかわからない、もしかしたら殺されるかもしれないという恐怖が常にある。だから、下手なことはできないのだ。

あの日々は夢ではなかった。今日久々に訪れたこの場所で、まざまざと蘇る記憶がそれを証明している。

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