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さよならは、自分で。

「また始まったよ」

そう夫が苦笑したのは、これまでに何度あっただろうか。

わたしはすぐに周りの影響を受けるし、思い込みが激しいので、何かっていうとすぐに「やりたい!」「いいなー!」と言い出す。興味関心があっちこっちにいっては、やり始めなければ気が済まない。そういうところがある。

そして大抵、あまり長続きせずに終わる。わたしには「趣味」と呼べるものがほとんどなく、代わりに「マイブーム」がかわるがわるやってきては、コロコロと変わるのだ。

そんなわたしをずっと見てきた夫は、わたしが何か言い出すと決まって「また出たよ」と笑うのだ。笑いはするが、反対するわけでもなし。基本放置で勝手にさせてくれるので、助かっている。わたし自身は、そんな自分が結構好きだったりするし。

さて、いろいろと始めてはやめる、を繰り返してきて思うのは、「さよなら」を自分の意志で告げられなかったモノには未練が残る、ということだ。

やり始めたものの、金銭的な理由などで続けられなかったとか、そもそも始められなかったとか。そういうのは、後で必ず「挑戦したかった」「もっと思いっきりやりたかった」というウジウジ心が再発するのだ。

未練や後悔をなくして生きるのは難しいだろう。けど、できるだけ少なくしながら生きていきたい。そう思うのは、自然なことでしょう?

だからわたしは、「さよなら」は自分で決めたい。もう満足したと思えるまで、もしくはこりゃダメだと諦めがつくまで、とにかくやりきりたいんだ。

そのためには、とにかく一生懸命やらなきゃ。そのうえでダメだったなら清々しいし、その経験が無駄だったとは思わないはずだから。きっとね。

#エッセイ #日記

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