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よそゆきの声

「だれ!?」何度言われただろう。仕事用の電話をひとたび取れば、わたしはまるで別人のように喋るらしい。意識的に切り替えているつもりはないのだけど、不思議とスイッチが入るんだろう。

普段の声と違う発声は、たぶんパチンコ屋とコールセンターで身につけたのだろうと思う。パチ屋ではカウンタースタッフとしてカウンターに立ち、マイクを使ってアナウンスをしていた。パチ屋の喧騒さは言わずもがな、マイクを使うといったって、多少声を張らねばホールまでは届かないのだ。

もともと声がそんなに大きくないわたしは、マイクのボリュームをこっそり上げつつ、なるべく通る発声方法を探っていた。……のだと思う、無意識に。

そこでよそゆきの声を会得した後、いくつかのコールセンターに勤めることになる。初めて勤めた会社ではエンドユーザーの対応をしていたので、もはや慇懃無礼なんじゃないかと思われるほどに丁寧な対応が染みついた。

そのせいか、いまだにアポ取りの電話ではよそゆきの癖が抜けない。べつに、抜く必要もないんだけど。先日もとある仕事の要件で電話をし、先方と喋りながら、我ながら「だれ!?」だなあと感じていた。

けれどこのよそゆき電話で、褒められることはあれど嫌な思いをしたことはないし、「取材のお願い」なんて、聞く人によってはギョッとするような要件でも、多少は受け入れやすくなっているかもな…と考えれば、やっぱり何がどう役に立つのかはわからないものだな、と思う。

振り返れば、無駄の多い人生だった。無駄なことをしないで大人になった人なんてそうそういないのかもしれないけれど、それにしたってしなくてもいい思いをずいぶんして、しなくてもいい回り道をずいぶんして、今ここに至っていると思う。

でもその経験のすべてが、今のわたしを形作っているのだ。綺麗事みたいなことを言うけれど、やっぱりどの経験も、何かの役に立っているのだろうと思う。……というかそうとでも思わなきゃ、人は前へ進めないじゃない?

だからいいの。もういいの。何か一つでも違っていたら、パチンコ屋でもコールセンターでも働くことなんてなかったかもしれない。でもそうしたら、よそゆきの声というスキルを入手することはできなかったかもしれない。このスキルは今もそこそこ役立っているし、もうそれで万事OKとしようじゃないか。

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