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海外で細々オタクしてた私が濃厚JAMになるまで【JO1沼落ち】


ずっと書いては消しを繰り返していた沼落ちブログとやらを、JO1結成4年を機に投稿してみようと思います✌️
書いてるうちに沼落ちの瞬間がわからなくなってしまい(じわじわと段階を踏んで沼の底まで落ちましたので)長くなりますので、流し見程度でぜひご覧ください。

基本的には海外にいながらJO1を応援してたので、海外JAM目線が伝わったらいいな、なんて思ったりしてます。

あとあんまり言葉を選ばずにその当時の気持ちを素直に書いているので、若干なんやこいつ?となる可能性も否めません。ですがJO1を客観的に見ていた時期のことを残しておくことを優先したいと思ったので、ご容赦ください。


◼️はじめに - オタクとしての素地

元々小6〜大学初期まで10年ほど、関ジャニ∞のオタクをやってました。ジャニーズが好きというより、エイトが好きだった。

当時はたっちょんの8→1とか、ピンクのバンダナとか、8人に戻ることを望んでいるeighterもいた時代で、私もその1人。当時からしたら今の5人体制なんて想像もつかなかっただろうなあ。

学校にもわたしと親友以外eighterはいなくて、どこがいいの?って言われてたけど、下積みが長く苦難を乗り越えたから絆が深い、バンドスタイルで音楽を大事にしている(生歌至上主義)、ライブでコントしたり心から楽しませてくれる、そんなところが大好きだった。

学生なのでお年玉をはたいてツアーは1公演だけ、グッズもうちわくらいしか買えない。全ステする社会人のおねえさまたちすごいなーと思うとともに、経済力を持った上でオタクをするのは危険だなと子供ながらに気づいてたwww
中3の時、高校受験真っ只中だけど京セラの年末年始のコンサートに行きたいといったら母にブチギレられ、結局折れずに「落ちても自業自得だからね?」とあきれられた思い出もあります。(無事第一志望受かったし1日ライブに行くくらい関係ないです!!!)

当時は全国ネットのテレビ出演もそんなになくってメンバーの誰かが出るものは全部録画したし、ライブDVDも擦り切れるほど見た。
忘れもしない "LIFE〜目の前の向こうへ〜" あたりから急に人気の波がきたんだけど、そうなると顔ファンとか同担拒否とかが増えて、治安も少し悪くなった。エイトとeighterの関係性が好きだった私は居心地の悪さを感じ始めて、ちょうど7人から6人、5人となる少し前には完全に追わなくなっていた。(ちなみに錦戸担でした)
この先もうアイドルを推すことなんてないんだろうな、エイトより好きになれるアイドルグループなんて絶対ない、と思ってた。

今思えば、グループ箱推しできること、苦難を乗り越えたりストーリーがあること、音楽に対してこだわりが強いことが、エイトとJO1の共通点であり、わたしがアイドルを応援したくなる条件なんじゃないかなと思う。

◼️JO1結成当時は全スルー

K-POPを全く通って来ず、TWICEの日本人メンバーさえ言えないくらい無知だった私は当然韓国のプデュシリーズを知る由もなく、中学時代の友達が国プで拓実の布教をしていたけど、「一般人がデビューするだけなのに、なんでそんなに熱狂的になれるん?」としか思わなくてスルーしていた😂
いや、拓実きっかけでグループバトルのRAISE THE FLAGだけ見た記憶があるけど、ライティングがやばくて全然ご尊顔が見えなかったのと、長年音楽をやってた身からすると全体的に歌があんまり上手じゃなかったので刺さらなかったごめん

当時のわたしは転職を考えていて、海外移住しよう!と一大決心したのがちょうどその頃で、今振り返ると転職活動真っ盛りだったのがJO1のメンバーが決まった2019年12月頃でした。

ほぼテレビも見ていなかったので、その頃にデビューメンバーが決まったことも、デビューしたグループの名前がJO1だということも、1ミリも知りませんでした。

◼️サバ番との出会い

時は少し流れ、2020年4月、新卒で入った会社を退職しベトナムで働くことが決まっていましたが、コロナウイルス蔓延で3月下旬に国境が封鎖され、渡航が無期限延期になってしまいました。

リモートで新しい会社の仕事をしながら、家に篭りきりの生活の中で出会ったのが、JYP主催のNizi Project - 通称 虹プロ。のちのNiziUになる子たちです。
自分より年下の日本人の子達が、言葉の壁を超えて大きい夢に向かって努力し挑戦する姿が本当に尊くて、わたしももっと頑張らなきゃ、この子達を応援したい、と一瞬で虜になりました。

このFeel Specialが最高だったな😭😭😭

YouTubeで流れてきたのをきっかけに、そこまで放送されていた分を一気見をし、もうすでにサバ番のトリコになっていた私は次の放送回まで待てず、他のサバ番を漁り始めました。(基本的に違法アップロードです、すみません)

部活、青春、全国大会、甲子園、この辺りが好きな人でサバ番がささらない人っていないと思う😂

◼️日プとの出会い

サバ番を漁り始めて、PRODUCE48は昔どこかでちらっと見たことがあって、一通り見て大号泣。言葉の違い、文化の壁を超えてみんなが成長していく姿がとても尊かった。。。

虹プロのおかげでTWICEは多少詳しくなったのでSIXTEENも見始めたけど、無料で見れる範囲ではep.が飛び飛びでしかなかったのであんまり感情移入できず。

そのあとにプエク(Produce 101 X)を見始めたけど、どうしても韓国人だらけの環境に興味が持てず、自分は日本人が頑張ってることにすごく共感してたんだなと気づき(顔も日本人が好み)、そこで出会ったのがPRODUCE 101 JAPAN- 日プ無印。

ちょうど特別便でベトナムへ渡航し2週間ホテル隔離中の、文字通り部屋に閉じ込められて仕事以外なにもやることがない時期に、デビューメンバーをろくに知らない状態で最初から見はじめ(当時は公式には配信してなかったので、ニコ動かなんかの無断転載)、仕事後に夜通し見続けて気づけば3日たたずに視聴完了していました。笑


◼️日プの亡霊時代と孤独な無銭オタク

HIGHLIGHTで一気に蓮くんとしょせの2推し状態になり(きまちゃんの魅力は当時わからなかった😂)、消化器チームのメラメラっぷり仲良しっぷりがだいすきで、DOMINO放出からのクンチキタの逆襲で号泣し、気になってデビューメンバーを調べて安藤くんがデビューできなかったことにショックを受けた。一通り見たあとは、ヘイロー組の辞退の理由とか拓実が順位が下がった理由とか、リアタイしてなくて番組を見ただけではわからなかったことをひたすら調べた。
(K-pop界隈からの下げとか、落とし込みとか、多分リアタイしてたら病んでたと思うし、心からデビューメンバー全員を応援できてたかは正直わからない。まじで国プの皆さんすごい、とS2をリアタイして思いました😂)

終わってみても、JO1のファンというよりは、日プの亡霊だった完全に。
参加していたメンバーが今どんな活躍をしてるのかほぼ全員を調べ、オーディションにまた挑戦していればそれを追っかけたり。
幸運にもいい事務所に拾われた子もいれば、よくわからん事務所で利用されてないか?大丈夫?と思う子もいたり、夢をあきらめて一般人に戻ってしまえばもう一生推すことができない残酷さを感じた。(推しは推せる時に推せ、ですね)
日プも一回見て終わりじゃなく、練習生全員にフォーカスして、画面の隅っこにいるケミを探したり、ほとんど全部のセリフを覚えるくらいまで何度も何度も見た。


そして何回も見てるうちに、鶴房汐恩の人間性に惹かれたんだと思う。
顔はタイプだったけど、最初はいけすかないやつだと思って好きじゃなかった。笑
でも調べてみると、直前でクラス分けの相方が辞退してソロで挑むことになったとか(番組内では言及がないから知らなかった)、
「ここにいる大人を信じてみなさい」という菅井ちゃんの言葉は、きっとデビュー確約と言われて高校中退して渡韓したのに大人の都合で振り回された心情を汲んでのことじゃないか(推測です)とか、
仲のいい練習生が生存/脱落するたび、映りなんか気にせず人一倍はしゃいだり悔しがったりする姿とか、誤解してたけどめちゃくちゃ人間として素敵やん、というところを見つけてしまって、他のメンバーよりちょっと特別な存在だと認識したきっかけだったと思う。

永遠の反抗期からのこの笑顔は反則でしょ


その後も派生グルや他のサバ番含め(日プ2もガルプラも見た)一番追っていたのはJO1だったけど、当時使ってたSNSはインスタメインでTwitterなんて全然見てなかったし、JO1専用アカウントもなく、ベトナムにいる日本人でJO1を知ってる人もそもそもいなかったので、完全に自分1人でコンテンツを漁るだけ

まだJAMの自覚はない頃


これは個人の感想だけど、当時のJO1はぶっちゃけトークも素人感丸出しだったし、YouTubeコンテンツもその他のバラエティも前の推しグルと比べちゃって、正直あんまり刺さってなかった。笑
(JO1HOUSEとかも公開が終わってたのか、辿り着けなかったのか、海外からだとみれなかったのか不明。。。)
(Hi!JO1が始まったときは、編集見やすくておもしろくて感動したし、最近のnoteを読んでみると購買ダッシュ沼落ちJAMが多くてすごく嬉しい)

汐恩のことも、今はそれが汐恩らしさだと理解してるけど、アイドルからあまりにもかけ離れた、理解の範疇を超えた変な言動をすることが多いからぶっちゃけ恥ずかしくなる時も多くて(まあそれを超える顔面の良さがありました、ええ)、
ゆるく箱推しだけど強いていうなら推しは鶴房かな〜くらいの感じだった。

愛しくてたまらない鶴房


それでも供給だけは追いかけ続けた。11人が新興事務所で、前例のない中もがき続ける姿は、
ベトナムで1人ベンチャー気質の会社でがむしゃらにもがいてる自分に勇気を与えてくれた。

LAPONEよりはウチは全然ましな会社だったよ()


海外にいるとTVerがあってもVPNを繋がないと見れないし、そもそもTVerで配信されないものは見ることすらできない(転載を探したりするけど何日後、何週間後になるので、リアタイの選択肢はほぼない)。雑誌なんてもってのほかだし、FC入ったところでライブ行けないし海外にグッズ配送してくれるわけでもないので、いわゆる無銭オタクでした。

リアタイが難しいことに加えて、私のいたホーチミンは一生夏なので季節感がなく、この頃にこういう供給があったよなあと感じることが難しく、今でもその頃の供給の時系列、記憶が曖昧です😂

この頃から頑張り出したので、JAMの自覚ありかな?
うちの子たちすごいでしょ?の勢い


一方、日本ではKCONなどオフラインでライブが再開されはじめて感動的な瞬間だったと思うけど、海外勢からすると隔離の条件が厳しくていつ帰れるのか不明という全く変わらない状況だから置いてけぼりだったし、
OTDをきっかけにFCは入ったけど、周りにJAMの友達もいないので配信を1人で見ただけだったから、正直ライブDVDの収録映像を見ているのとそんなに変わらなく感じた。
結局のところ、コロナ禍の海外在住オタクは想像以上にとっても孤独だった


◼️私をJAMにしてくれたのは、JAMの熱量

そんな中、2週間の入国時隔離はまだあったけど、日本に初めて一時帰国できたのが22年の3月。
友達の結婚式に合わせての一時帰国だったけど、JAM活するぞって決意していたので、空港から隔離ホテルに輸送され勢いのままにJO1専用のTwitterアカウントを作った。


隔離明け、日本には海外にいたらできないことがたくさんあった
街中でJO1を発見すること(広告やコラボ商品)。野生のJAMに遭遇すること。聖地巡り。店頭に並ぶJO1のCDや雑誌を手に取ること。初めて番組をリアタイしながらテレビの前でひたすらツイートした。
いわゆる"本国ペン"の特権をひしひしと感じた。


なかでもファンダムのセンイル(お誕生日)イベントはすごい。一流企業とタイアップしたり、もうファンが完全ボランティアでやってる企画とは思えない!!!


ちょうどいいタイミングで、デビューからの2年をまとめたドキュメンタリー映画、"未完成"も上映が始まり、同じ映画を何度も見に行くなんて以前は考えられなかったけど、何度も何度も味わった。(DVDも買ったし今もprime videoでことあるごとに見直してる。)
うっすら知っていたデビュー当時のエピソードを映像や本人の言葉で見て聞いて、チームJO1の乗り越えてきた苦難を身に沁みて感じて本当に心が苦しかったし、よりJO1をトップに連れて行きたい気持ちが強くなった


そしてなにより、いままで周りにいなかったリアルなJAMの存在

高校の同級生のJAM(国プであり女神)と一緒に未完成を見に行ったんだけど、JO1の話を人と共有できるのがもう感動だったし、わたしが日本にいなかった間のCDをプレゼントしてくれたり、デビュー当時のオタクしか手に入れることのできないJO1誕生までの軌跡(11人分の日プ密着映像)を貸してくれて、もう沼が加速した。

副音声含めて一時帰国中に5回くらい見に行った


あわせて本当に感謝しているのは、やっぱりTwitterにいる顔も知らないJAMの皆さんたち
今も変わらず、新規ホイホイ、基本的に箱推しなところもとても素敵だし、その熱量と巻き込み力にびっくりした。

Twitterを始めて、GttT(Go to the Topの略)アカウントというのがあるのを知った。
当時ビルボードで上位を目指すために欠かせなかったツイート数を多く獲得するために、みんなついラン(ツイート数集計サイト)を確認して「ツイ足りない!」と呼びかけあったり、自然発生的にJO1への愛を叫ぶタグができたり、連日ツイート数1位への意識を高く持っていた。私もみるみるうちに1日で何百ツイートもしてたし、短時間にツイートしすぎると制限かかるから2号機まで作って、集計時間の朝の4時までに他グルに負けそうなときは深夜帯担当として頑張ってたのを思い出す。
Twitterやってるリア友なんてほとんどいないのに、今ではスマホを持つと一番最初に開くアプリになってるのはJAMあるあるかな😂

初心者向けにタグイベ、馴染みのないスミン(ストリーミング再生)のやり方、YouTubeの急上昇へ入れやすくする方法を詳しくまとめてくれるJAMがいて、みんながそれを拡散し、一人一人が行動し、声を掛け合っているのをみて、本当にファンダムの思いが一致してるんだなと感動したし誇りに思った「JO1をトップに連れていきたい」という気持ちが一段と増した


私はK-pop畑も通ってきてなくていろんな文化がわからないことだらけだったけど、とりあえず日本にいる間にアクスタ11人分メルカリでポチってベトナムに連れて帰りました。


そこからはもうカムバになると海外からCDを注文して実家に送りつけ(CDを積むという感覚も以前は全く理解できなかったしむしろ反対派だった)、とりあえず母に開封をお願いしてシリアルだけ写真で送ってもらったり、特典の開封も全部やってもらって、兄や友達が来るタイミングでベトナムにまとめてもってきてもらったりw

ベトナムには同じ熱量で話せるオタクなんていないだろうと思ってたけど、Twitterを通してベトナム人のJAMとも仲良くなれて、その熱量にとっても刺激をうけた😂(全然私よりグッズ持ってたし、歴もヨントン回数も全然先輩でした笑)

ちなみにこの時まだ1回もJO1に会ったことはないです、怖

◼️JO1の手を離さないと決めたのは、幻のKCON LA

初の一時帰国からまたベトナムに戻り2ヶ月が経った22年6月、KCON LA出演のお知らせがあった。
海外の大きな大きな初舞台、絶対に見届けなきゃと張り切ってチケット、フライト、ホテルも取った。現地に集まる予定の日本人同士でいろいろと情報交換したり、アメリカの現地JAMとも交流できるようにコミュニティにも入った。

そして忘れもしない22年8月15日、私がLA行きのフライトに乗るはずだった4日前、コロナ感染によりJO1出演キャンセルのお知らせ。
私にとっては今でもこの瞬間がJAMしてきた中で一番のトラウマ
人生で初めて"血の気が引く"、"世界が色を失う"という言葉の意味を実感した。

初めてJO1に会える予定だったのがなくなったのもショックだったし、メンバーの体調もメンタルも心配だったし、
なんでこうも頑張ってるJO1に試練ばっかり降りかかるのか、「運も実力のうちだね」って他グルのファンからかけられた心無い言葉にまじでキレ散らかした。
仕事中にふいに涙が出てきてトイレに篭ったり、本当に何もする気にならなくてしばらく人生のどん底くらい落ち込んだ。

あんまりいい思い出ではないけど、だからこそJO1が自分にとって無償の愛をそそげる大切な存在なんだって気づけたし、「私は絶対にJO1をこんなところで終わらせない」って火がついた瞬間だった。

その時にちょうどリリースされてたのがKIZUNAで、With Usという曲に助けられたなあ。
ちなみにキャンセルできて戻ってきた飛行機代はその次のカムバ(Midnight Sun)に注ぎ込んで過去最高に積みました。

この時点でもまだ1回もJO1に会ったことないのにこの熱量、ほんとに怖い笑笑

◼️おまけ - 海外コンでやっと晴らすことができた無念

時は飛んで2023年明けてすぐ、KCON THAILAND🇹🇭が発表された時にはもう真っ先に有給確保してチケット取ったし、その年のKCON LA🇺🇸は、直後にアジアツアーが控えていたから予算的に渡航は諦めたけど、現地でかましてくれたし、pinky promiseも成就させてくれたので、無事に思いは成仏しております🙏

そして2023年後半のJO1単独アジアツアー。
当初は一か所だけにしようかなんて思ってたけど、「推しは推せる時に推せ」精神なので行ける限りの日程に申し込み、バンコクと台北に当選。

心待ちにしていた現地JAMの輝く瞳を見ることができたし、同じ状況の海外在住日本人JAMともたくさん繋がることができた。
そして日本語もほとんど使わず積極的に現地の言葉でコミュニケーションをとるJO1をとっても誇りに思ったし、もっともっと大きくなって行くJO1の姿をこの目で見届けたいと心から願った瞬間でした。


ちなみに、その頃にはJO1に会うために弾丸週末帰国したり、一ヶ月に2回帰国したりしていたので、ついにJO1にもっと会えるように、23年9月にはベトナムから日本へ本帰国していたのでした。。。笑

海外生活3年にもなり、ある程度やりきったなと思えたし、海外キャリアを活かしていい転職ができたので後悔はありません!そのときの決意はこちらにまとめてるので、もしご興味あればご覧ください〜


◼️最後に - なぜこんなにもJO1にハマるのか

正直もうこんなにもアイドルにハマるとは思ってなかったし、20代後半でここまでアイドル中心の生活になるとは思ってなかった。(アセアセ

そこまでハマってしまうJO1の1番の魅力は、オーディションから生まれ、前例のないことに挑戦し続けてきた心意気だと私は思います。

今では流行りともいえるほど乱発しているオーディション発グループの中で、JO1は日本で間違いなくパイオニアであり、J-popとK-popの間という新ジャンルを代表し、吉本と韓国企業の合弁会社でまともにアイドルのマネジメント経験もない事務所からスタートした彼ら。
デビューとコロナが重なり、歴の長いアイドルでさえどう活動していいかわからない中、コロナ禍でのアイドルとしての活動も模索しなければならなかった。
何もなかったし、先も見えなくても、それでも進み続けてここまできた彼らを本当に誇りに思っているし、彼らならすごいことを成し遂げてくれると心から信じています。

映画"未完成"の中でも「Go to the Topとは?」という問いにみんなが答える部分が全てを表してると思う。
明確なTopがあるわけではなく、世界に行ったらそれで終わりというわけでもない。
そんな、果てしなく上を目指し続けるJO1だから心から応援したいと思える絶対にトップへ連れて行きたいと思える。同じ時代に生まれて、彼らに出会えて、本当に良かった。

アイドルを推すこともこんな沼落ちブログを書くことも、完全に自己満でしかないけれど、
こういった思いをシェアできるJAMという存在が素敵で、とても感謝しています。

まだまだ続くJO1の挑戦を、これからもJAMとして見守り、支え、押し上げていけたらいいなと思います。JO1に出会えて良かった!JAMになれてよかった!これからも一緒に。

4周年おめでとう!毎日幸せをありがとう🫶

#JO1 #日プ #PRODUCE101JAPAN #JO1沼落ちブログ #あなたのJO1はどこから

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