末澤誠也さん、という光

街灯に集まる虫のように、光の刺激に反応して動く生物の本能を「走光性」というらしい。

人間もそんなシンプルな法則で生きていけたらなあ…なんてこの言葉を知った当時高校生の私は思っていたけど。大人になった今、意外と自分にもそんな特性があったことに驚く。

この人の放つ光から目を離さないでいたいな。
この光に恥じないような生き方をしたいな。
そう思わせてくれる存在のうちの1人が、
Aぇ! group末澤誠也さん。


1.その光、無差別級につき

男性アイドルの推しといえば癒し系、が相場だった私。一方で椎名林檎さん、YUKIさん、TWICEモモさん、好きな漫画はNANA、とステージで輝きを放つ気高い女性に惹かれる。

不思議な事に、末澤さんは後者に近い。
中性的ともまた違う、性別もジャンルも超えて私が持ち得る美しさの記憶を無差別級で戦わせても勝てる何かを持っている、と思う。

・PRIDEの後半、"From here to anywhere with me"(特に最後の掠れ声)
・わっしょいCAMP JAPONICA STYLE "I never ever ever ever hurry up"
・デビュー曲《A》 BEGINNING"ここが出発点"

彼の美しさを挙げて、と言われるとこんな風にピンポイントに並べたくなるんですよね。いろんな要素がバチっとはまる、あるいは奇跡的な不和から放たれる、キラキラとはまた違う一瞬の光。アクセサリーのように肌身離さず持っておきたい残像と残響。彼が魅せる美しさの質を考えるとき、私は東京事変「閃光少女」を思い出す。

前も後ろもなく、ただただこの一瞬の素晴らしさの大正解を提供する。揺るぎない大正解なのに、その刹那な瞬間がなんとも儚い。そんな、芸術の本質にも迫る魅力を持つ末澤さんが好きだ。



2. 繊細な心、つよい表現力、揺るぎない芯

そんな風にステージで光り輝く人って、「繊細な心」と「つよい表現力」の両方を持ち合わせていることが多いと思う。末澤さんも例外ではない。

会議で言葉を交わすよりUSJにみんなを連れて行くような、目には見えない感情を大事にする人。興味があることに反射的に手を出すような、心と身体がダイレクトに繋がっている人(ネコみたいで可愛い)。そして声が高くてでかい、黒目がでかい、口元もリッチでいらっしゃる人。
…だからほんのちょっと感情のハンドルを切っただけで、その表現の振り幅は人並み以上になる。ラジオでスタッフさんに正論ぶちかますとき、周りにつっこみまくるときも。総じて、生まれながらの表現者って感じがする。

しかし、それゆえに、例えば対照的な正門さん——不動の信念に対して指先レベルの繊細さを持つ職人みたいな人——との衝突や不和が避けられないことも、狂犬と言われてきたことも、なんとなく、なんだかわかる、勝手な憶測だけど。

それでも彼が周りから尊敬され愛され、自分を貫いてこれたのは、生まれ持った「繊細な心」と「つよい表現力」の間をつなぐ揺るぎない芯があり、ただの気分屋じゃないからだと思う。自身の影響力を自覚するからこそ、怒り(ツッコミ?)で火を焚べることはあっても、弱音を吐いて自らの光を翳らせることはあり得なかったんだろう。

生まれながらの主人公感。加えて、その影響力を自覚しつつ揺るぎない意志で自分の光を絶やさない。言葉にするのも野暮なほど、無邪気にやってのけるのが末澤さんだ。


3.最後に私の誓い、私の走光性

ここから先は自分の話なので余談っちゃ余談。主題っちゃ主題。

大袈裟にいえば、そういう1人の人間から発せられる奇跡的に大正解な一瞬の光…みたいなものに日々惹かれ、目を離せないでいる自分がいる。

その光があまりに強くて、時々自分の内部まで隅々まで照らされているドキドキ感すら、ある。変な言い方だけど、魂の骨組み、みたいな、じゃあ私は何を積み重ねてきました?って自問自答したくなるような。

誰かのために、とか、キャリアを逆算して、とかどうせ無理だから、とか、数々の思い込みを。「そういうことちゃうやん?」と末澤さんのあの痛快な正論パンチのリズムで一通り倒してみる。そういうことを最近よくやる。

30歳を過ぎたら自然と安定志向にまとまっていくのかなと思ったけど。末澤さんのせいで思い出してしまったんだよね……どうせ正解がないこの世界で、人間が放つ可能性みたいな光を拠り所にしてしまいたくなる自分の"走光性“。そしてその光に恥じないよう、見栄も言い訳も捨てて正直に生きたい。

と、いう末澤さんの話をしつつ、私の誓いのnoteでした。

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