ジャニオタと名乗る以上やはりモヤモヤせざるを得ない件について

このnoteは後から見返して幸せな気持ちになれるようにできるだけ前向きなこと、綺麗なことだけ書いていたかったので、敢えてこんなこと言う理由もないんだけど、なので後から消す可能性もかなり高いんだけど、一回言葉にしてみないとどうにもこうにもモヤモヤするなといよいよ思うようになってきたので…。

そもそもの話として、ここ最近ニュースで報じられている原因というか、発端そのものについては、もう言語道断といいますか、どの会社でもどの業界でも起きてはならない、今後どうか起きないで欲しいことであるというのは大前提として。いやもうそれは、本当に。

私が言葉にしておきたかったのは、あくまで私がいち個人として感じている、今の葛藤なり悔しさなんですね。何かを提言したり批判したり擁護したり意見したりするものでは全くなく、ただただ今の感情に目を凝らした結果何が見えてきたのか、というただの愚痴です。

私が気にしているのは、事務所全体として、加えてその…報じる報じないとかの問題を見聞きした時にですね、このまま私が何もなかったかのようにコンテンツを享受して、お金を使ってということで、"あ、大丈夫なんだ、事業遂行に大きな影響は出ないんだ"と思われることにならないだろうかということなんですよね。
実際事務所側がそう思ったり言ったりするかでなく、ただただ構造的な問題として。私1人の行動が取るに足りないものはわかっている上で、ただただ気持ちの問題として。消費行動はよりよい社会への大事な選択ですから。

…とはいえ、とはいえですよ?
"なら明日から推すのやーめよ"、とはならないんですよね。なかなか難しいっす。

推しからもらう元気やら勇気やら優しさや幸せやらっていうポジティブな感情は、もちろん我々が差し出す何かを対価にもらってるわけですけど、その、感情そのものと産業的なものってまた違うじゃないですか。8000円払ったから8000円分の感動です、とはならない。

もはや"自分のもの"になっている前向き感情そのものを自分で否定するのはどうしても無理だし、それをする必要もないよなぁと思います。第三者からしたら、え?何をのうのうと?ってなるかもしれないけど、何回考えてみてもやっぱそれはそうなんですよ。

私がご機嫌に生きていく上ですごく大事な、推しからもらえる感情自身が、やはりこう産業的なものの中でぐるぐると動いているという側面を今回かなり意識せざるを得なくて、でも仕方のないことで、それが悔しさなのかなと思ったりしました。そんなこと思わせないでよっていう悔しさもあるのかもしれません。


自分の倫理観を何より大事にすることが1番で、なんらかの毅然とした態度は必要であると同時に、これまでの自分を自分で否定する理由も必要もない。エンタメを愛する以上うまくこの葛藤と付き合ってくしかないのだとも、今回改めて思った次第でございます。

ちなみに私メーカー勤務なんだけど、たとえば会社としての姿勢に問題があったとして、それまで愛されてきた商品はどれくらい同時に嫌われるんだろう?と考えさせられたりしました。商品自体に、その機能性やデザインやそれで与える価値は何も変わらないのにね。モノではなくブランドでユーザーと対話しようみたいな風潮、最近あるけど、商品そのものの愛され力を軽んじてはいけないなと、ちょっと脱線してそんなこと考えてみたりしました。いやもちろん企業姿勢が1番大事ですが。あとすみません、推しを商品と直接的にたとえたいわけでもないことをご理解ください。


最後に、また言い訳みたいに言うけど、何か結論を出したいわけでも意見したいわけでもなく、今の悔しさを言葉にしてみたと言う話でした。ひとつ言えるとしたら、構造上かなり自己矛盾を感じる局面はあるけど、推しからもらった感情はもう自分のものだと誇って、敢えて自分自身を否定したり、傷つけたりすることまでしなくてよいと思う、ということでしょうか。

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