磨き上げたストーリーテリング力で「今・ここ」の圧倒的特別を届ける (Aぇ! groupデビュー曲テレビ初披露に寄せて)

2024年4月20日、
withMUSICでのデビュー曲《A》BEGINNINGテレビ初歌パフォーマンス。



撃ち抜かれるというにはあまりに骨太な、もっと鈍くて強い何かに叩きのめされた、そんな感覚だった。たった数分に凝縮されたエネルギーが身体の中に余韻のようにぐるぐると残る。

これはなんだろう…と一晩考えて、
Aぇの卓越したストーリーテリング力が、彼らの「今・ここ」を圧倒的に特別なものにした。それを受け取ったということだ、
ということに気づいた。

ただただ、誇らしく、
ありがたいと思った。




私がAぇにのめり込むきっかけとなったのがまさにこの、"ストーリーテリング力"だった。過去記事で私は、PRIDEにおけるコード進行・フリ→オチの流れの綺麗さを引き合いに出し皆で物語を作る能力に長けていることに触れた。

それはつまり、「第三者にとっては何でもない音や言葉に、自分たちにしかない特別を持たせる力」が優れているといえるだろう。
韓国の名プロデューサーパク・ジニョン氏によれば、それこそがスター性であるとも言える。

このストーリーテリング力、磨きがかかるどころかめちゃくちゃに進化しているではないか。
自分を、グループを、見ているファンを圧倒的特別にしてくれる彼らの飛躍に、今週私は何度も触れた気がした。



例えば佐野くんが支払った、72万の会場費。
これがただの経費ではないこと、Aぇ担にはわかる。

アーティストとしての「特別」を敢えて排除し、お茶の間に通用するスキルという最大公約数で勝負し続けた彼。その結果得た賞金という代替可能な価値を、彼はお金で買えないスペシャルな物語に昇華させたのだ。替えが絶対にきかない、彼自身が愛するグループのため、待ち望んだデビューというタイミングで。

自らとグループの物語をそれこそお茶の間にもわかる形で明確に刻みつけやがった、まったく恐ろしい最年少です。


物語といえば、小島くん。
私は彼の、「なんでもない日常を特別にする」技が大好きだ。なんだか彼らが遠くに行ってしまうような心配を抱えていた私は、今週彼中心に発信される情報の温度にホッとすることが多かった。絶対あなた始球式投げへんやろ、と思いつつ彼のうざいまでのキャッチボールネタを何度も微笑ましく見た。(結局投げなかったし)

デビュー前後の花火はいつか終わるだろう。ずっと結果がついて回る苦しさに疲れる日が来るかもしれない。それでも俺らについてきたら楽しいよ、何でもない日常をワクワクさせるよ、そんな彼の魔法は私の「好き」の原点。


(この人たち団体でのストーリーテリングすごいくせに個人の自己紹介となると全然何も伝わらないの、ウケる)


そろそろwithMUSICの話にいかないと…。
《A》BEGINNING、MV何度も回して聴き慣れている曲なのに、すでに特別なのに、だからこそ、あのパフォーマンスにしかない「今・ここ」の圧倒的特別を食らった気がした。それを可能にした彼らの意気込みとスキルがすごい。


歌唱前末澤くんが代表してデビューの心境を語っていましたね。ファンミの時と同様、芸歴・年齢と、諦めなかったという事実と両親への感謝を穏やかに述べていたことが印象的でした。

彼だけでなくいわゆる御三家(リチャくん・正門くん)って、苦労話や努力のストーリーをそんな積極的に言わないじゃないですか。年下2人と比べて実直で不器用だなとも思う。それでも続けていくというシンプルで強い意志があり。その中で誰より熱くたぎる「自分こそ特別なんだ!」というスター性の宣言を、他でもないダンスや歌や楽器、表情で表現しているんだな……ということがね、

もう、

高らかに響く、

Ride on Fire! 
→ 声を上げろ!!

の時点でわかったよね…そうだよね…
(急なテンション高めの語り)


それからAメロ入る前の正門くん、

New Era Era Era!


青白い閃光が見えたよ…

末澤くんの高すぎるハイトーンが目立つけど、私はその中でもがなるように歌うフルテンラウダーやここが出発点に感動しっぱなしでした。しゃかりきなのに雑にならず、全てを込められる彼のスキルと軌跡に尊敬の念が止まらない。
珍しくうわずる正門くんの、それでも強く光る眼ざし、全体を引っ張るリチャくんのリズム感にも。


3人に対してアレンジを加え過ぎない年下2人のバランス能力とグループとしてのまとまりにもスタンディングオベーションが止まりません。  

感情が昂りすぎる時、独りよがりになったパフォーマンスが不安定で届かないということはよくある。彼らも過去あったはずだ。
今回はそうじゃなくて、荒削りでありながらも繊細。クオリティが高く、これ以上でも以下でもない「完璧な未完成」。


昔ボイトレの先生が「音量と声量は違うんです」と言っていたことを思い出した。テレビの音量を上げようが下げようが変わらない声量は、この一瞬に凝縮された「音圧」によるもの。
何にも変え難い、このパフォーマンスにしかない特別がそこにはあった。

最後までフルテン・ラウダー。
すべてのエネルギーを注ぎ込む、
俺らの特別な「今・ここ」を見てほしい、
今以外いらない、
そう言いたげな音圧にやられた数分間でした。


いや本当、ハードに踊りながら生歌という選択肢を持ってくれてありがとう。
ばこーん!とお腹の中心を殴られて、そのど真ん中にどばどばと愛を注ぎ込まれた気がします。

(支離滅裂な文章だな……いつもはもう少しちゃんと書けるはずなんだけど……笑)



私はそんな彼らの「特別」を、できるだけ大事に遠くまで運びたいと願っているんだよな、とも最近しきりに思う。

遠くに運ぶには、高く飛ぶに越したことはない。でも高く飛ぶために、持っていける「特別」は決して多くない。
MVの再生回数見つめたり、ハラハラしながらよにのちゃんねる見たりしてるのは、きっとそんな葛藤によるものなんだろう…とも最近思っている。

この話はまた今度。

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