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2018年は、懸命に生きた年だった。


こんばんは。さゆりです。
ちょっと長めにはなりますが、今年のまとめ。

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2018年は全てがガラッと変わって、良いこともたくさんあったし、予想打にできないこともあった。


「覚悟を決めて、やり遂げる」
って今までしたことないかも。と思って、2年前に決意を固めて、その組織で働いてみた。
でも、その組織で、その場所で必要とされた「自分を捨てること」が、どうしてもできなかった。会社のために身を粉にして働くことも、その会社の将来を考えることもできなかった。

今まで、自分の心と体にギャップが生まれたことはなかったけど、初めて歪みを感じた。
気持ちは頑張りたいけど、仕事のために頑張れない。日中に仕事をしていると睡魔に襲われる。住む場所も、周りの環境はいいけど家が良くなくて体がカビやホコリに耐えきれなくなってしまった。これまでも付き合ってきたアトピーがとても悪化してしまって、痒みで寝られない夜が続いた。しまいには今まで出なかったところにも湿疹が出てきて、そんな自分の姿に耐えられなくなってしまった。やっていた仕事自体楽しいこともたくさんあったけど、そこだけに目を向けて続けることが現実的ではなくなった。幸いにも、なおきくんというパートナーができて、彼も組織について悩んでいた。3年経ったら好きなところに行く生活をしようと思っていたけど、恩人のアドバイスもあり、いっそのこと早めてしまおうと思った。なおきくんも私のやりたいことと思っていたことに共感をしてくれた。私1人ではこんなに早く決断をできなかったと思うけど、彼がいたから、相談して答えてくれた恩人がいたから、すんなりと辞めることを決めた。

結果、私にできたことは自分の好きなように行動して、人脈を広げて、仲良くする人を見つけること。少しずつ仕事をもらうこと。じぶんがいいと思ってることを曲げないこと。料理を作ること。言いたいことをはっきりと言うこと。帰る場所をつくること。お金に関することは得意じゃないってことがわかったし、得意じゃなくても生きていくために少しは必要なんだな、ってこともわかった。

仕事を辞めて、北海道に帰って。

アトピーって色々あって、原因も様々なんだけど、私はカビやホコリの摂取量が半端なかったり、仕事で自分が思ってるよりもストレスを抱えてしまっていたこともあり、肉体的なものと精神的なものの両方から悪化していたんだと思う。アトピーに使う薬、ステロイドが良くないと聞いていたので、大学の時から減らして(これについては諸説あるし長くなるので気になる方は脱ステで検索を)、仕事を始めてから使わなくてもいい生活を半年くらい送っていたけど、爆発してしまってむしろ薬が前より効かなくなってしまってビビった。薬を使っても使わなくても良くもならず、これに関しては苦悩の日々が始まってしまった。

生み出したい、何かプラスのことをしたい、けれど、あまり湧いてこない。
日々こなしたいこともできなくなっていた。

なおきくんも北海道に来て、キャンプで道内を巡る旅を始めた。やっぱり北海道はステキなところで、景色を見るだけで心が洗われたし、ご飯ももちろん美味しかった。

でも、自分のことについてかなり凹む日々を過ごした。かゆくてかゆくて、何かしようとしても身動きがとれない。夜に眠れないから、頭も働かないし体も動かない。これまで普通に、頑張らずにできたことができない、頑張ってできたことなんてもっとできない。見た目もボロボロ。かなり悲観的になっていた。ああ、なんでこんなことになってしまったんだ。もっと楽しみたいのに。なおきくんもなんでこんなめんどくさいやつと一緒にいてくれるのか。悲観的になるときと、楽しいときが交互にやってきて、相当振り幅が大きかった。かゆみが酷い時はどうしたらいいのか全くわからなくなってしまって、ただ駄々をこねていたり、彼にあたってしまったりする。でも、彼はそんな私を見て、大丈夫だよ、辛いねと言ってくれるし、マッサージという施しまでしてくれる。ご飯を準備したかったり、動きたいのに動けないときは無理しなくていいよ、と待ってくれる。自分の子供でも無いのに、色々と助けてくれる。自分でひどい肌だなぁ、と気分が落ち込む時も、受け入れてくれる。これに、どんなに救われていることか。多分、彼と会わずに仕事を辞めていたら、今頃引きこもって、誰とも会わずにもやしみたいな生活を送っていたかもしれない。

そんななおきくんの支えもあって、キャンプ生活をできてよかったと思えた。
日中に移動をして、目的地に行く。夕方に日が暮れる前に場所を決めて、テントを立て寝床を確保する。火を起こしたり、水を汲んで夜ご飯と朝ご飯をつくる。ご飯を食べて、テントの中で話す。朝ご飯を食べたら設置していたものを全てしまって、次の目的地を目指す。これの繰り返しだけど、この一連の流れができてよかったと思っている。自分たちで寝床を作って、ご飯を作って。原始的だけど、今まで当たり前のように人にやってもらってたり、頼っていたことを自分たちでやって生きてるって実感が湧いた。今思い返してもそのときの自分の状態って結構酷かったと思うし、仕事もまともにできなかっただろうから家にいたら腐ってたと思うし、少しでも何かをやれているということは本当にいいことだったと思える。

北海道の次は青森に行って前のバイト先のカフェで働かせてもらって、リモートでデザインもさせてもらって。久しぶりに絵も描いた。旅をしている時、総じて食事も妥協してこれでいっかで済ませることは少なく、食べたいものを食べて美味しいものばかりだったし、たくさん好きな場所もできた。

日本の次は久しぶりの海外へ。タイ、カンボジア、マレーシア、シンガポールを約1ヶ月半。初の長期間海外だっけど、大きなトラブルもなく、安全に過ごすことができた。
海外の1番の目的は知り合いのつてから参加を決めた、タオ島というタイの離島でのゲストハウス建設とまかない作りのボランティア参加。ボランティアだからお金が発生しないと言う気楽さがあったけど、週に5、6日5〜8時間くらい実働でレシピを考えて料理を作るってことができたし、国籍問わず自分のご飯を美味しいって言ってもらえて私も幸せだったしみんなをハッピーにできた気がする。
好きな人と一緒に好きなことをできる限りしてってことをできて、とても良い時間を過ごさせてもらっている。
まだかゆみとの戦いはあるけど、前より全然良くなってるし、考えることもできることも前よりできるようになってきて、リハビリも進んでいる気がする。

今、前の仕事を辞めてから半年近く経ち、北海道のトマムで久し振りにフルタイムで働いている。
始まる前は生活リズムも変わるし、疲れるだろうし、できるんだろうかとすごく心配だった。
2週間くらい経つけど、とりあえず無事に仕事をできているから良かった。
ホテルのフロントで、激務だけども。
なんなら、残業すると時給がアップするからと進んで残業している自分が恐ろしい。
前の仕事は一切残業代とかなかったから今思うとそれは更に恐ろしい。

今、大変は大変だけど、ひっさし振りにスキーをしたり、霧氷を見たり冬を満喫させてもらってる。

そして次は、九州に行って、夢の猫島巡りと温泉祭り。ヨーロッパに行きたいからちゃんとお金を貯めつつ、合間合間で自分の好きなことのために使いたいな。

こんな普通じゃないカタチで一緒にいてくれているなおきくんには感謝しきれないほど感謝しているし、全然帰らないのに住所を置いていて、家に荷物を置かせてくれたりたまに帰ると優しく迎えてくれるセーフティーネットのような家族にも支えられている。

目まぐるしく色んなことが起こったけど、色んなことを経験して、月並みな表現だけどすごーく濃い時間だった。
私にこれまで関わってくれた人、今関わってくれる人、将来関わる人すべてに感謝の想いを込めて。
特別なことはないけど、風邪気味のまま新年を迎えます。笑
今年はありがとうございました、来年もよろしくお願いします。

渡しの代わりにねことなおきくんからお礼。


さゆり


読んでくださって、本当にありがとうございました。