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わたしの息子

産んで育てているのは女の子だけど、近ごろ、まるで息子を見守る母親のような気持ちを味わっているのが、テニスの錦織圭選手を無我夢中で応援しているとき。昨日の全英オープンテニスの二回戦も、文字通り画面にかじりつくようにして観た。そして、勝った!

10代からプロとして活躍する錦織選手の存在は、もちろんスポーツニュースなどを通じて知っていたけれど、彼の試合のテレビ中継を最初から最後まで真剣に観るようになったのは、今年に入ってからだ。以前は、夫婦そろってスポーツ観戦全般に関心が薄いタイプだったのである。

それが、昨年末に大好きな街、オーストラリアのメルボルンに家族旅行をして(著書のふりかえり旅行でもあった)、その直後の1月から全豪オープンがはじまったことで、テレビ画面にずっと映し出される「MELBOURNE」の文字や、時折はさみこまれる街並みの映像に家族全員キュンキュンしながら、旅の思い出にひたるようにテニスを観はじめた。それで、すっかりハマってしまった。

しかも今年の全豪オープンは、ちょうど夫と娘が続けてインフルエンザにかかり、全員じっと家にいるしかないという期間ともピッタリ重なっていた。
海外での試合は時差のために夜更かししないと観られないことも多いけれど、メルボルンと日本の時差は1、2時間のため、テレビ中継も昼間に放送されていた。
高熱で寝込むのはせいぜい1、2日、それ以降はただ外出禁止というだけだから、家のなかでもてあます時間を、大坂選手と錦織選手が1日交替で登場して熱戦を繰り広げ、しかも勝ち進んでいくのを観られたのは、考えてみたらとてもラッキーだったかもしれない。1人だけ患者にならなかった身だから言えることだけど……

全豪オープンは大坂なおみ選手が全米に続いて優勝したことが大きな話題となったが、あの決勝戦をリアルタイムで観ていたときの感動といったら、今でも思い出すと胸が熱くなる。夫は見事になおみファンとなり、わたしも彼女は大好きだし、テレビで試合中継があれば必ず観る。

けれど、わたしが錦織選手を応援する気持ちは、大坂選手に対するそれとは圧倒的に熱量が違う(ここからは、彼の成長を見続けてきた長年のファンではなく、プレースタイルの変遷や怪我の詳細も知らない、あくまで超新参者のファンの私見として読み流してもらえたらうれしいです)。

錦織選手の試合って、なぜだか妙にハラハラさせられるのだ。

全豪オープンでは、男女の試合が1日ごとに交互に行われる関係で、結果的に優勝まで勝ち取った絶好調の大坂なおみ選手と、錦織選手の戦い方を自然に見比べるかたちとなり、その違いが浮き彫りとなった。
大坂選手は、わりと早めに試合を決めながら体力を消費せずに勝ち進んでいったのに対し、錦織選手の試合はたいていフルセットまでもつれこみ、タイブレークもたびたびあって、苦戦の末に辛勝、どうにかこうにかギリギリのところで駒を次に進めている印象だった。つまり、とても対照的に見えた。

全豪オープンでの戦い方がたまたまそうだったのかなと思いながら、その後の全仏を観たら、そこでもハラハラだった。今は全英オープンを観ていて、第一回戦では「やっぱりハラハラプレーは彼の持ち味なんじゃないか」という確信を抱きかけたが、昨日の二回戦はハラハラ度低め、余裕の試合運びでの勝利だった。すると、それはそれでちょっとつまんなかったりして、とにかくすっかり錦織選手のハラハラテニスの虜、というわけだ。

錦織選手は現在世界ランク7位。でもハラハラ型の試合のときは、100位以下の選手が相手でも、ちょっと危なっかしく見える。リードしていたはずが、あれよという間に追い込まれて、「ひょっとして負けちゃう!?」とピンチに陥ったり、でも結局ちゃんと勝つ。だからランキング上位でいられるのだ。

全仏オープンの4回戦、2日間に渡る激闘を繰り広げた対ペール戦なんて(試合が長引き、日没によって中断、翌日に試合が持ち越された)、文字通り手に汗握りながら寿命が縮む思いで応援して、最後になんとか勝ったときは「あんなに相手の方が調子がよかったのに、なんで勝てたんだろ?」って不思議になっちゃったほど。
実況の人も興奮しながら、「これは錦織選手にとっても歴史的な一戦、これまででもっとも大変な試合だったのではないでしょうか!」なんて言っていたのに、本人はその後の取材で「過去の試合のなかで9番目に大変だった」なんて答えたらしい。会見を見たのではなく、次の試合の実況解説で語られていたのを聞いただけだけど、つまり「もっと大変な試合は他にも数々やってきたよ」ということらしくて、周囲の心配をよそに、本人は意外とケロッとしていてたくましいところが「やっぱり大物かも」と思わせる。

全豪オープンの試合をインフルエンザ患者として観ていた夫や娘は、全仏オープン以降は「錦織選手の試合はハラハラして疲れる」なんて言いながら片手間に観ていて(けしからん)、こうなったらわたしだけでも全力で応援するわ!と、彼の試合の日は集中して観戦できるように、テレビ中継時間を中心に一日のスケジュールを組み立てる。

そうした様子を見ながら、夫が一言「ほとんど母だね」と言った。

たしかに、これはきっと「天才くんタイプじゃないけど、がんばり屋でねばり強い息子を見守り、応援する母の気持ち」に、とても近い。男の子の母親を経験したことがないから、想像だけれど。

そういえば(話はいきなりテニスから遠い場所へ飛んで)、わたしの5つ上の姉は、娘2人に中学受験をさせた経験の持ち主なのだが、この姪たちが、伯母のわたしからみても実に対照的だ。長女は勉強嫌いで外遊びが大好き、次女は大人から声かけをされなくても自主的に勉強をやり、つねに上位の成績をとってくる優等生タイプ。
姉が長女と初めての受験勉強をしているときは親子バトルも壮絶で、側から見ていてもそれはそれは大変そうだったから、わたしの娘は、少なくとも勉強に関しては次女タイプだったらありがたいなぁと思っていた。

ところが姉から見るとわが娘は「どちらかといったら、うちの長女のタイプだろうね」。
うすうすそんな気はしていたので、第三者から見てもやっぱりそうかとガックリしていたら、姉がポロリと「子どもにいちばん手がかかる時期が終わったからこんなふうに思えるのかもしれないけど、うちの娘が2人とも優等生で親の手のかからない子だったら、こんなにも子育てがおもしろかったかどうかわからない。もちろん2人とも長女のタイプだったらと考えるとおそろしいけど(笑)、子どもって、ちょっと心配だからかわいいんだよ」。

そう、心配だからかわいい。
わたしにとっての錦織選手も、まさにそれである。

親の気持ちで見守っているファン(わたしだ)をハラハラさせながらも、最後まで絶対にあきらめない精神力とか、ミスしても取り乱さずにギリギリのところで冷静さを保とうと踏ん張る姿とか、どんなタフマッチでも終わった後は飄々として前だけを見ているしなやかさとか、取材に対しても落ち着いて誠実に受け答えする好青年な雰囲気とか、ついでに英語がペラペラなところとか……
うちの子も、この先たびたび直面する人生の試練では、こんなふうにねばり強く、しっかりと太い芯を持ちながら戦いを乗り越えていってほしいものだなぁ、という願いも重なりつつ、テレビの中の理想の息子の勇姿を、これからも追っかけたい。
だから錦織選手、20代最後の年なんて気にせずに、あと何年でもプレーし続けてください。

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