爆発

爆発させちまえ

演劇を始めて16年が経つ。

それだけ聞くと聞こえはいいだろう。

でも実際に蓋を開けてみると、
中身は少ない

高1に1回(役者)
高2に1回(役者、演出)

大学1~3年
 ・演劇部にて11回
   全スタッフ
    内舞台監督3回、演出1回
 ・外部にて4回(役者)

以降手伝い複数回(兼任有)
 舞台監督2回
 音響・照明手伝い1回
 撮影3回
 撮影編集2回
 他諸々

自身の団体で2回公演
(演出、宣伝美術、撮影など)

そして、
舞台「みみばしる」では
キャッチコピーが選ばれたり、
オーディション1次審査通ったこと等、
参加をしていた。

というくらいでしか
関わっていなかった。

この数をやっていて、
やっていないものがある。

それが、脚本を書くということだ。

1回だけ、あるにはあるのだが。

オムニバスの構成のまとめ。
そして、1本の短編脚本。
しかし、公演自体が
アーティストの曲を軸に、
話が繋がっていくものだったので、
元ネタ(歌詞)がある状態での、
制作だった。

そもそも
僕が演劇を始めた理由はなんなのか。

それは
脚本を書いてみたいと思ったから
だった。

中学3年の時に、
音楽を聴くようになり、
歌詞に興味を持った。
その影響からか、小説を読み始めた。

それまでろくな趣味もなく、
読書などろくにした事がなかったのに。

ひょんなきっかけから
歌詞、小説といった
文字の創作物」というものに
興味をもった。

そしてその次が、「脚本」だった。

曲は作れないけど、
なんとなく歌詞は書けた。

でも、小説や脚本が書けない…。
現物で観れるものの方が、
イメージしやすくて
書けるんじゃないか。

そういうところから、演劇を始めた。

でも結局16年。
「オリジナル」と呼べる作品を
作れたことはなかった

途中まで書いて、投げる。
がほとんどだった。

数年前、
1つ書き終わったものがあるが、
御伽噺を積みに積み重ねたり、
過去の自分の作品を織り交ぜて
作った作品で、オリジナルとは
言えない程遠いものだった。

自分でやった公演も。

1回目は歌詞がメインなので
自分の気持ちは入っていない。
(心を込めては作った)

2回目は某歌手の歌詞に
勝手に自分をあてはめて
それを原案として
友人に書いてもらった。
自分の気持ちは込められたけど
第三者が書いた僕の気持ちだった。

だから僕は、一度ちゃんと
オリジナル作品を書いてみたい

そうだ。
僕がやりたかった「何か」は、
オリジナル作品を作ることなんだ。

って実は心の底で、思っては、
分かってはいたんだけども。

2回目にやった芝居の中に

人は常に何かを盗んで生きている。
死ぬのも生きるのも歩くのも、
今こうして話してる言葉や文字も。
知識も常識も感情も記憶も愛し方も。
みんな盗んでるもんだ。
そしたら。
オリジナルはいったい
どこにあるんだ?

盗作と盗品と偽物だらけ。
唯一無二がどこにも見えない。
どこにあるんだ?
(「絵盗む鵺 篝火篇」©高野真光)

と一節がある。

2013年にやった、
この公演の、この言葉に。
未だにずっと引っ張られている

だから、
オリジナルなんてものは作れない
そう諦めてしまっている。

同じ公演で、

自称普通じゃないってのは、
自称特別ってことだ。
それは他者と違っていることを
引けらかしているだけだろ。
他者と違っていることに甘えて、
酔って、依存して。でもな。
そんな奴らが圧倒的マジョリティ
だったりするんだよ。
人間はいつだっていつだって、
平凡って奴からの脱却を望んでる。
世の中をちょっと便利にしてる連中は
みんな普通じゃない。
その普通じゃないことを、
普通にしてる、つまりは要は。
『普通じゃない』イコール『普通』
なんだよ。不変の真理さ。
(「絵盗む鵺 雨下篇」©高野真光)

という一節もある。

この公演を打つまではずっと
『普通じゃない』と思っていた僕。
終わってからは、僕はただの
『普通』の人
だと思っていた。
そこで雨は上がっていた気がしていた。

今思うと
ネガティブな意味での『普通じゃない』
なんだなと思った。
同性愛者ということは悪い意味で
『普通じゃない』って思っていた。
(今でも一般的に
 マイナスに思う人は多いが)

でも今は『普通』なんだけども、
良い意味で『普通じゃない』
自分に出会えた。
曇り空が、晴れたんだ。

そうだ。
前に火は灯ったじゃないか
もう6年前だ。
当時の想いなんて、
蹴散らしてしまえ。
爆発させちまえ

その「どこ」を、
必ず見つけ出してやる。
今の僕なら、できる

「僕」という名の作品を書こう。
16年の長い長い小さな夢。

今こそ、叶えてみせる。

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