死ぬこと

死ぬことばかり考えてしまうのは きっと生きる事に真面目だから

僕が死のうと思ったのは

この言葉だけ聞くと、
「お前、大丈夫?」と思う人は
少なくないかもしれない。

「僕が死のうと思ったのは」は
中島美嘉、そして
amazarashiの楽曲である。

中島美嘉に提供をして
それをamazarashi
セルフカバーしたものである。

どんな暗い曲なんだ
と思いきや
実はそんな暗く重い曲ではない。

暗いように見えて
希望を歌っている

それが amazarashiだ。

この楽曲は、
それをまさに表している楽曲だ。

初めて聴いたのは
amazarashi LIVE TOUR 2012
「ごめんなさい ちゃんといえるかな」
のライブ後のSEだった。

なんて曲なんだと
その時観たライブ以上に
衝撃を受けた
記憶がある。

ずっと音源化を待っていた。
中島美嘉が歌うとの情報が入った時は
正直ありえないと思ってしまった。

それほどまでに
僕が死のうと思ったのは
は amazarashi、秋田ひろむの
曲でしかないと思っていたから。

聴いてみて
「まぁ悪くない」
そうは思ったけれども
やはり違和感があって。

いざ音源化すると決まった時には
amazarashi自体のへ興味が
少し薄まってきている辺りで。

実際聴いても
当時の音とはうって変わって
だいびバンド形式の曲になっていて
それはそれでまたショックだった。

その頃には弾き語りでも
歌うことはあったのだが、
悪くはないが何か違うなと
思ってしまう。

ショックだったといえば
微妙に歌詞が
変わってしまったところだ。

見えない敵と戦ってる
六畳一間のドンキホーテ
ゴールはどうせ酷いものさ


中島美嘉が歌う時には

見えない敵と戦ってる 
六畳一間のドンキホーテ
ゴールはどうせ醜いものさ

になっていた。
これは、セルフカバーの際に
戻っていたからまだ良かったけれども。

何故「醜い」に変更したのか。
おそらく、中島美嘉がこの曲を
「愛の歌」と称したからである
と思っている。

酷いよりも醜いの方が
愛を表現しているように感じる。

もう1つ歌詞が変わっていて

死ぬことばかり考えてしまうのは
きっと生きる事に真面目だから

死ぬことばかり考えてしまうのは
きっと生きる事に真面目すぎるから

になっている。

再度歌い直す少し前ほどから、
amazarashiは言葉を
少し詰めて歌う傾向に変わった。
おそらくその影響で
歌詞も変わったのだと思う。

それに、
「真面目すぎるから」
の方がより
「死ぬことばかり考えてしまう」
にかかるというのもあるだろう。

なんだけれども。
最後のサビの前の
あの間が好きだったのに。
というのがどうしてもあって。
変わった時には本当にショックだった。

いつかあの音源のような歌い方で
生で聴いてみたいものだ。

そんなamazarashiが、
4月末よりツアー
「未来になれなかった全ての夜に」
を開始する。

僕は5/6の
Zepp DiverCity Tokyoに行く。

もの凄い久々なので、
楽しみさと不安さの2つを抱えながら
その日を待っている。

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