名前を

名前を(おし)つけている

言葉にならない感情を、
言葉にしたいと思った。

それは、その感情に
名前をつけたいと言うことだ。

名前のついた言葉は、この世に
溢れすぎているくらいにある。

今の僕は、会社員だ。

それも、
肩書きという名の中にある、
1つの名だ。

時と場合と状況によって、
名前は変わってくる。

会社員、自営業。
フリーター、ニート。
ライター、作家、漫画家。
役者、演出家、舞台監督。

仕事だけでもごまんとある言葉。

今の時代、兼任している人も多いので、
自分の役職をどう記載するか
迷う人もいる、らしい。

自分にあった役職を、
自分自身で名付ける人もいる、
らしい。

そう、新たな名前をつけるのだ。

名前をつけるということは、
良いことか、悪いことか。

名前を付けるということの
メリットは、定着してしまえば
一言で済むから、「楽」になる
ということだ。

だが、定着するまでは
説明をしなくてはならない

それは、
デメリットな部分でもある。

そして、名前をつけることによって、
傷つく人や物がいないか、どうか。
これも大事な部分だと思う。

何故そう思ったのか、というのは。
というのが今日の本題

ここ数年で、LGBTに関して
話題にあがることが多くなった。

2019年4月クールのドラマでは
・きのう何食べた?
・腐女子、うっかりゲイに告る。
・俺のスカート、どこ行った?
といったくらいに
3本も該当の作品を作るほどだ。

そのLGBTというのも
ここ最近では
LGBTs
LGBTQ
SOGI
などと、
様々な名前がつけられている。
(細かく言うと特にSOGIに関しては
 全然違うものらしい)

その中の区分も、
様々なものがあるらしいが、
多すぎて、分からない。

LGBTの
G(ゲイ)の当事者としても、
「なんのこっちゃ?」と思うことが
多々ある。

これらの名を付けている人は、
どのような人なんだろう。
と思ったことがあった。
当事者なのか、
はたまたそうでない人なのか。

一部の該当者が、
そう名付けることで、
全員の該当者が
納得するとは到底思えない
その名付けた人の
独りよがりじゃないんだろうか。

自分たちは他と違うから。
「普通じゃない」自分を見て
酔いに浸っている。

自分は「普通じゃない」から、
名付けて「自分」という
「特別」な存在である
ということを主張をしたい。

「自分は他の人と違うんだよね、
 だから私可哀想なんだよね。
 可哀想だからそんな僕に対して
 名前をつけたよ。
 僕っていう人がいるよ。
 みんな知ってよ

そういう想いで付けたように
感じてしまう。

逆に、
名前を付けられたことによって
差別されたように
思う人もいるかもしれない

というのを考えないのだろうか。

LGBT当事者が
全員同じってわけじゃない。

区別だよ
って言いたいのかもしれないが
区別も、人によっては差別だ。

周りと違うというのが
だと思っていたわけでしょ?
今、自分たちが同じことしてるじゃん。
そんなことするなよ。

とLGBT関連に関しては、
思っているし、

名前をつけている
というよりは
名前をおしつけている
ように思えてしまうのである。

それは、全くの別物だ。
とも思っている。

知らずに傷つけられていた人が
知らずに人を傷つけているのを
見るのは、 なんか嫌だな。

だから名前をつけるのであれば、
人が傷つかないよう
配慮すべきなんだろうな、

と思った。

というお話でした。

#名付け #名前 #殴り書き