怒らないことに「怒れ」と怒ること
こんにちは、スナオイロのナオコです。
わたしは元夫がギャンブル依存症だったことをきっかけに、自分の共依存症に気づき、自分自身と深く向き合うようになりました。
自分自身の体験から得た気づきや学びを、元セラピストの経験なども織り交ぜながら、わかち合いをしていきたいと思っています。
今回は「怒らないことに「怒れ」と怒ること」というタイトルで、最近ちょっと話題になった、有名な政治家さんの発言からはじまった流れのことを話してみようと思います。
実はこのような話について思うところがあって、ずっと発信したいなと思っていた内容の1つでした。
一般的には『誰が良くて、誰が悪いのか論争』になるテーマだと思いますが、わたしは異なった視点から、あくまで個人的な意見を書いていきたいと思います。
事象の概要
わたしは、この内容で誰かを咎めたりするような話をしたいわけではないので、わかると思いますがイニシャルで書きますね。
大まかな流れとしては、
男性の政治家Aさん が 女性の政治家Kさん に対して「おばさん」などといった発言をしたことが発端。
▶ Aさんは発言を非難する声を受け、すでに発言を撤回
▶ Kさんは「問題視しない」と発言
このKさんの応対に「大人の対応」という称賛と、「政治家として女性蔑視的な発言をされたら怒るべきでしょ!」という批判の声があがっている…。
さらに、このような批判をした人たちに対して「Kさんは嫌な思いをした立場なのになぜ怒られるのか」といった声もあがっている…。
他者をコントロールしようとしている
人に対する依存でとても厄介な部分が、この『人を自分の思い通りにコントロールしようとする』ことです。
これってわたしたちの日常の言動の中に 当たり前のように馴染みすぎていて、無意識でやってしまっていることがほとんどだと思います。
また、コントロールしたがる人は『自分が正しい』という思いでやっているから、なかなか気づくことができないんですよね。
今回の事象では、「そんなこと言われてなんで怒らないんだ、政治家としておかしいだろ!」という、自分が納得いかない出来事に対して 納得いかない反応をした人を、自分の思い通りになるように圧をかけてコントロールしようとしている(という見方もできる)わけです。
「苦しみとは、コントロールできないものをコントロールしようとすることでもある」と言われます。
コントロールできてると思った場合は、支配と従属の関係になっています。
コントロールをする側、される側、双方に苦しみが生まれてしまいます。
他者コントロールによる苦しみ
自分の思い通りに他者をコントロールできなかった場合
① まず、自分にとって間違っている発言を聞いたとき、そこで怒りの感情が生まれます。
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② 次に、相手が自分の望む態度をとってくれなかったら、さらに怒りの感情が生まれます。
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③ そして、「変われ」と、その怒りを相手にぶつけます。
通常、相手は不快な気持ちになり、こちらにも怒りの感情が生まれる可能性があります。
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④「変われ」と言っても変わらなかったら、自分の思い通りにならなかったという自分が否定されたような怒りの感情、不満でいっぱいになります。
単純に想像しただけでも、この時点で自分に3回も怒りの感情が生まれていますね。
相手には1回の不快な気持ちが生まれています。
このあともコントロールをしようと圧をかけていけば、怒りの感情は何度でも生まれ、苦しみはずっと続いていきます。
自分の思い通りに他者をコントロールできた場合
①と②は上に同じです。
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③ そして、「変われ」と、その怒りを相手にぶつけます。
通常、相手は不快な気持ちになるけど、仕方なく言うことを聞いて対応した。相手は自分の思考・信念などを捻じ曲げられ、内心、悲しみや怒りの感情が生まれています。
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④ 自分の思い通りになったことで、一件落着(自分としては)。
優越感と満たされた気持ちになります。
「な、最初からそうすればいいんだよ」「ほらね、私の言ったとおりでしょ」などと偉くなった気分になります。
さらにここで、周囲から「よく言った!」「その通り!」なんて称賛が入ったら、もうルンルン☺♬
他者をコントロールしたくなるのは『依存』
一見、自分の正しさが認められ、善悪の判断があるとすれば『善』になったわけですが、でも、この感覚は自己受容ができていない人、自分で自分の価値が認められない人にとってはヨダレが出るような依存性があります。
なので、この快感をまた感じるために、いろんなことに首をつっこんんでは批判を繰り返すようになってしまいます。
それは、常にネガティブなことにアンテナを張り、探し求めることになってしまうということでもあります。
いつも批判しているような人って、正しさを主張してるんだから幸せであっても良さそうなのに、なぜか幸せそうに見えないと思ってしまうのは気のせいでしょうか…。
人をコントロールすることって苦しいし、しかもそこに快感を覚えてしまうと抜け出すのがむずかしくなってしまいます。
今ここに意識を向けていきたいですね。
男性性優位な社会に女性性を
Kさんの対応への「こうするべきだ」といった怒りや圧力による批判は、男性性優位なやり方なのかなと思います。
『2024年はどんな年?』という記事でも書いたんですけど、2024年は『女性性』がキーワードの1つになると思っています。
やっぱり女性も男性性優位な状態になっていることが多いなと思うので、女性だけでなく、みんなで気をつけたいところですね。
(女性が悪いというのではなく、男性性優位になってしまうような世の中の流れだということです)
「間違っていることに対して怒って何が悪いの?」「よくないことははっきりというべきだ」という気持ちもよくわかります。
それでも、攻撃的な言動は争いを生み出してしまいます。
本当に世の中の平和を望むのなら、自分自身が争いの種を蒔いていることに気づき、蒔くことをやめ、自分自身が平和であることに意識を向けていく必要があると思っています。
(わたしはKさんが「問題視しない」と発言された、その真意によって展開が全く異なると思っています。
「政治家なのに女性蔑視発言に対して怒らない、女性がバカにされているのに…。だから日本は…」と捉えがちだけど、わたしは「これこそ女性性の強さだ」と捉えることもできると思っています。
そのような内容を後日書ければと思っています。意味不明ですね…😅)
コントロールしたくなる気持ちを手放す
あくまで わたし一個人の考えではありますが、Kさんが正すよりも「怒れ」と批判した人たちがその気持ちを手放したほうがラクだということになります。
そうすれば苦しみも怒りも生まれず、争いにもつながりません。
わたしはこのような小さなことが大きなことにつながると思っています。
怒りの感情が湧き出てきても早いうちに気づいて消化すれば延焼は防げます。
そのぶん、自分も相手も傷が浅くて済みます。
でも、わたしはKさんを批判した人たちに対して「正せ」とは思いません。
わたしもコントロールしてることになっちゃいますからね。
わたしも批判する側でした
わたしも以前は自分のことが正しいと思い込んでいて、許せないことも多く、批判する側でした(親からは批判される側でした)。
40年以上そうやって生きてきたから、「なんでこっち側が正さなくちゃいけないんだ」という人たちの気持ちもとてもわかります。
(正さなくちゃいけないのではなく、正したほうが むしろ心が自由にラクになれるのでおすすめです。という感じです☺)
わたしが「他者をコントロールしたい気持ちが相手も自分も苦しめている」ということを自分ではっきりと自覚したときは、自分軸で生きることもあやふやだったので、
「えっ?はっ?何っ?どういうこと? わたしの今までの生き方って何だったの?! うそだよね…」
と理解ができなさ過ぎて、時が止まってしまったかのような、言葉では言い表せない状態になりました。
(わたしはこんなことばっかりです…。笑)
怒りの源はべつのところにある
怒りって自分の中にずっと溜め込んできたものが、こういうきっかけを利用して吐き出されているだけだったんだと気づいたんです。
(わたしの気づきがあなたにとって正解とは限らないけど)
怒りが自分の中に抑圧されてるから、それを吐き出せる相手や場所を求めてる。
そして、このようなタイミングが来た時に「はいはい、やって来ましたね!」と自分の内側のどこかが喜んで興奮しているんです。
手放せると自由になる
こんなことを言ってる わたしに対して「何言ってんだこの人。頭おかしいんじゃないか」と思う人もいるでしょう。
以前のわたしも、きっとそう思っているでしょう。笑
いいのよ、それで。
相手がどう思うのか、それは相手の自由。
自分がコントロールできない部分。
それがわかって手放せると、自分も自由になるんです🐬
まとめ
短くまとめたいのに、どんどん話がずれて書きたいことがたくさん出てきて また数日かけて長文に…。笑
まとまりがないけど、とりあえず書き上げたので、ホッとしました。
今回も、拙い文章を最後までご覧いただきありがとうございました☺✨
ありがとうございます! このnoteを良いな♪と思っていただけましたら、サポートをよろしくお願いいたします☺