女性性の強さ
こんにちは、スナオイロのナオコです。
わたしは元夫がギャンブル依存症だったことをきっかけに、自分の共依存症に気づき、自分自身と深く向き合うようになりました。
自分自身の体験から得た気づきや学びを、元セラピストの経験なども織り交ぜながら、わかち合いをしていきたいと思っています。
世の中で起こる事象をどう捉えていくかによって、景色が変わります。
「わたしの捉え方が正しくてみんなは間違ってる」とかではなく、「あ、こんな捉え方もあるんだ」みたいな、あなたなりの発見とか、創造性につながってくれたらいいなと思っています。
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今回は、前回のnote『怒らないことに「怒れ」と怒ること』で少し触れた、わたしが今年2024年のキーワードの1つであると思っている『女性性』について書いていこうと思います。
前回のnoteをご覧いただいたほうがわかりやすいかなと思いますので、良かったらご覧くださいm(__)m
前回のnoteより
前回のnoteでは、男性の政治家Aさん が 女性の政治家Kさん に対して「おばさん」などといった発言をしたことを話題に取り上げました。
▶ Aさんは発言を非難する声を受け、すでに発言を撤回
▶ Kさんは「問題視しない」と発言
このKさんの応対に「大人の対応」という称賛と、「政治家として女性蔑視的な発言をされたら怒るべきでしょ!」という批判の声があがっている…。
さらに、このような批判をした人たちに対して「Kさんは嫌な思いをした立場なのになぜ怒られるのか」といった声もあがっている…。
ということを書きましたので、そのあたりをちょっと深掘りしてお話しできればと思っています。
事象をどう捉える?! 何を学ぶ?!
Kさんは「問題視しない」とどのような真意で発言されたのでしょうか。
大抵の場合、「これはこっちの意見が正しいでしょ」「いや、それはおかしくない?!」といった話の流れになっていくと思います。
といっても本当の真意はわからないし、正直、そこはどうでもいいんです。
そのような、『どっちが正しいか正しくないか』『自分の正義を認めてほしい』などといった論争をしたいのではありません。
わたしが大事だと思っているのは「自分がこの事象から何に気づくか、何を学べるのか」といったことです。
そこには正解も不正解もなく、自由なのです☺
結局、生み出されるのは『怒り』になってる
たぶん多くの人が、『Aさんへの忖度的な発言』か『良い人。大人な対応』ということで捉えるんじゃないかと思います。
そして、『怒り』の感情を持った人が多かったように思います。
・「政治家としてどうなのよ」「怒れよ」という怒り
・「え、この大人な対応の何がいけないの? なんでこの人が逆に怒られてるの?」という怒る人に対しての怒り。
『ほとんど動じていない』かもしれない
『忖度』『大人の対応』以外に、そもそも『ほとんど動じていない』という場合もあると わたしは思っています。
と言いますか、わたしがその立場だったら『動じない』自分を選びたい☺
『忖度』の場合だったら、「傷ついたけど、相手に嫌われてはいけない」といった欲望や恐怖みたいなものがあるのかなと思うし、
『大人の対応』の場合だったら、「傷ついたけど、ここはうまくまとめないと…」と、事を大きくしないように自分を抑えてちょっと無理をしている気持ちとか、「寛容さを見せたい」みたいな欲求もあるのかなと思います。
『忖度』と『大人の対応』、どちらの場合も『他者にどうみられるか』に焦点があたっていますよね。
『動じない』場合というのは、『あるがまま』『超然』という感じで自分がそこにちゃんと存在しています。
ふつうなら傷つくけど…
「えっ、不快に思わないわけないでしょ!」「女性に対して失礼でしょ! しかも公の場でさぁ」などと思う方が多いと思います。
しかも国を代表する政治家の発言ですからね。
わたしも以前だったらイライラ、ムカムカして、「こんな人が政治家なんて信じられない。だから今の日本はさぁ…」などと、文句を言っていたと思います。
このように今の世の中では、日常生活で女性に対して年齢や容姿のことを言ったらすごく失礼な人とされるのが当たり前で、そして言われた方は傷ついて悲しくなったり怒ったりします。
でも今のわたしには、むしろ『傷つくように設定されている、仕向けられてる』、そんなコントロールをされているようにも感じてしまいます。
自己受容・自分軸で生きていると傷つきにくい
『自分を受け入れて自分軸で生きられるようになる』と、容姿などに対する嫌な発言をされても、あんまり不快に思わなくなってしまうんです。
だから、ほぼ動じることなく「まぁいっか」とサラッと解決してしまうんです。
(だからといって、何を言ってもいいわけじゃないですけどね)
それは『ほかの人が思うことに対して、コントロールしたくなる気持ちを手放している』からです。
自己受容ができている状態で、相手の思考の自由をゆるす(=コントロールしない)ことができれば、ほとんど傷つくことはなくなります。
そして、こうなると『怒り』もほとんど生まれません。
相手が悪意を持って挑発するように言ってきたとしても、こちらが怒らず動じないでいると、かえって相手のほうが「えっ?あれっ?」と肩透かしを食らったような感じになって、悪意が弱まったり消えていったりしてしまうのです。
女性性の強さ
今書いてきたように、怒るようなことを言ったのに相手が『傷ついてないし、ほとんど動じていない』場合、これはむしろ怒るよりも、より強い印象を相手に与えることになると思っています。
意図的かどうかはともかく、自分がやった言動に対して怒りの反応が返ってくると思ってたのに消えてしまうのですから。
これをわたしは本来の『女性性の強さ』だと思っています。
傷ついた気持ちを抑圧するでもなく受け入れて、相手の言動にも揺さぶられず敵意を生むことなく受け入れてしまう。
なんならその相手のことも受け入れてしまう。
あたたかい包容力のある、母なる大地のエネルギーという感じです。
ピンク色のエネルギー
色で言うと『ピンク』のエネルギーになります。
『赤』を『クリア(透明)』にしていくと『ピンク』になります。
赤には『攻撃的』『愛』などのイメージがありますよね、クリアは意味を強烈にする質があります。
ピンクは『愛』の意味が強まって、すべてを包み込むような受容する質になります。
(すべては表裏一体なので、ピンクのエネルギーも使い方によっては攻撃性を強めてヒステリックになったり、抑圧して犠牲的になることもあります)
女性性が大切になる時代
「ねぇ、なんで僕のこと認めてくれないの?」「僕が一番えらいんだぞ!」
「ヤダヤダ、僕の言うことを聞いてよ!言うこと聞いてくれないなら怒っちゃうぞ!」
「お前が僕のことを認めてくれないのが悪いんだからな」
大きな争いごとも元を辿れば、無価値感、虚無感、孤独感、劣等感などを抱えた愛を感じられない人たちによるものだと思うんです。
その人たちが大人になり、立派な肩書き・大きな権威を持ってしまったから大きなことになっているというだけで、ベースにあるのはこういうこと。
このような人たちは立派なことを言っているように見せかけて、相手が怒ったり不安になったりするように仕向けるのが得意なんですね。
そうすることでお金儲けもできるのであれば、どんどんどんどん仕向けてきます。
平和の鍵は女性性にある?!
わたしたちが身近に起こった事象に対して囚われにくくなり、怒りを生み出すことが少なくなっていけば、自然と世の中も平和になっていくんじゃないかなと思っています。
争いの勝ち負けや、自分たちの正しさの証明によって平和を勝ち取るというような考え方自体が間違っていたと思うのです。
だってそれが正解だったらとっくに平和で安心な世界になっているはずですよね。
男性も女性も、本来の女性性の強さを自分自身の中に見出し、思い出し、取り戻していきましょう。
語彙力や文章力がなくて、なかなかうまく言語化ができず伝わりにくい部分もあるかと思いますが、わたしがこのようなことを書くことで、本来の平和へのお手伝いができるのであればうれしいなと思います。
今回も、最後までご覧いただきありがとうございました☺✨
ありがとうございます! このnoteを良いな♪と思っていただけましたら、サポートをよろしくお願いいたします☺