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暗い海に触れて⑤

「え?何ですか...それ」
ドアにかけていた手が緩むと同時に前田さんの目を見る。聞きなれない言葉に慎重に耳を傾ける。
「君のように幻覚が見え、その存在と会話したり接することができる人間が他にも複数人いる。そんな人達を研究してる施設があるんだが、僕はそこの社員の一人だ」
「幻覚…」
まるで僕のことを監視でもしていたかのような言葉に恐怖心が宿る。動揺を隠せていない仕草が表に出る、パジャマ姿の胸元を軽く握る。
それは幽霊なんかじゃない、確かに接することができるし、話しかければ返事だって返ってくる。生きてここに実在するかのように。実態があるかのように。
「そうだ。大切なものを失ったショックに耐え切れない脳が異常を起こす。症状の詳細は人それぞれだが、君も間違いなくこの症状だ。」
いきなり難しい単語を並べられた上に、自覚ある出来事に頭が混乱する。
「着替えたまえ、君が今どういった状態なのか教えてあげるよ」
堂々と言ってるつもりかもしれないが、きっと前田さんは僕みたいに溺れた人間を数えきれないほど見てきたのだろう。その目が語っている。
「わかりました…」
渋々部屋に戻り、数日間着続けていたパジャマを脱ぎ棄てる。細身の青いジーンズと少し伸びた白いシャツを着ると、明らかに痩せていることに気付く。元々細身のジーンズなのに拳一個分は余裕ができてしまっている。並んだハンガーの横に垂れるようにかかっていたベルトを雑に取り、腰につける。
チェーンを外しドアを開けると、微笑んでくれた前田さんのおかげで緊張が少し和らぐ。
「行こうか」

前田さんの高級そうな車に乗り込み、退屈そうに窓の外を眺めていると、「少し痩せた?」と前田さんに聞かれたのでふと視線を自分の身体に下した。
「はい、まぁ」
曖昧な返事を返すと、運転に集中しているふりをしながら真剣に前を見ていた前田さんの口はそれ以上動くことはなかった。車体の揺れが心地よくて段々瞼が重くなる。さらに高級車と言わんばかりの高級レザーシートときたらほんとに気持ちよく眠れそうだ。

「優仁くん、優仁くん」
暗闇の視界から徐々に光が見えはじめ、声の方を見る。エンジン音が聞こえなくなっていることに気づき、前田さんの顔を見た。どうやらほんとに眠ってしまっていたらしい。ふと口元に違和感を覚え、手の甲で拭うと、日差しに反射する透明な液体に、段々顔が熱くなるのを感じた。余程高級シートが座り心地良かったのだろう、子供っぽく涎を垂らして寝ていた。恥ずかしくなった僕は顔を背け「あ、すいません」と零す。
ドアを開けてやっと外を見た僕は、口を半開きにさせて高いビルに圧倒されてしまった。
「さぁ、こっちだ」
前田さんの背中を追いかけるように小走りになった。通り過ぎる人たち、この高いビルの社員さんなのか前田さんを見るなり、挨拶をして頭を軽く下げていく。
「前田さんはここの社長か何かですか?」
少し気になったので聞いてみることにした。
「いや、僕は元々普通のカウンセラーだったんだよ。カウンセリングにくる人の中で幻覚と話したりしてると言ってくる人がいた。その過程で知ったのがこの研究所なんだ。それ以来僕はここの研究者の一人として向かい入れてもらい、ここで特定のカウンセリングをしながら研究に参加している。」
簡潔に短く説明してくれたが、あっさりと幻覚という言葉を口にする前田さんに対して敵意を向けてしまいそうになる。僕を研究材料のモルモットにでもするのかと、不謹慎な考え方まで浮かんできた。

研究所の中に入り、迷いなく歩いていく前田さんの後を追いながら、予想以上に静かな空気に窮屈感を覚えながら周りを見渡していた。チラチラと視線を向けられる、明らかに関係者ではない見た目の僕が浮いているのだろう。誰なんだその子供はとでも言いたげな顔ばかりチラつく。
「いいか、ここから先は驚く光景が飛び込んでくるかもしれないが、大きな声を出したり、箱の中にいる人に話しかけてはいけない。いいな?」
「は、はい」
かなり厳重に注意する声に少し後退りをしてしまいながら素直に返事した。「箱」という単語に少し疑わしい目になってしまうが、きっとそれは入ればわかるのだろう。
ウィーンという機会音と共に白い扉が自動で開き、ゆっくりと一歩目を前に出した瞬間、自分の足音が聞こえると同時に咄嗟に口を両手で抑えた。そうしないと何かしらの声が漏れてしまいそうだったから。

「きっともうすぐだよ、それまで私が一緒なら大丈夫でしょ」
「さいしょはグー、じゃんけんほい!あっち向いてほい!あーまた負けたー」
「ねぇ、いつになったら永遠になれるの!ねぇ!」
左右の壁は白く、前は透明なガラスで閉じられている。そんなそれぞれの「箱」に入っている人たちは、何を言っているのか、誰と話しているのかわからなかったが、ただ一人で壁に向かって笑ったり叫んだりして話している姿は異様そのものだった。

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執筆者。連載小説・短編小説・詩・自己表現、を書いて投稿しています。どこのSNSよりもnoteに自分を書いてます。 Twitter→@naoki_6001
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