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イメージ出来たら実現する

みなさんこんにちは、なおきです!

アメリカという国に来て1年半が経ちましたがつくづくこの国にはさまざまな人がいるなぁと思います!良くも悪くも!笑

大学院は基本的に丸一日、勉強しかしないので(めっちゃ英語とか頭のキレがいい出来る人を除く 笑)

僕が大学のキャンパスや狭いコミュニティの中でしか過ごせていないにも関わらず多くの国の人々がいました

インド、フランス、プエルトリコ、ドイツ、オランダ、スペイン、アルゼンチン、チェコ、ニュージーランド、中国、韓国、ベトナム、ロシア、コロンビアなどなど

最初の学期に会った国の人たちをざっと考えただけでもこれだけ出てくるけれどそんな人たちとのコミュニケーションは「英語」という共通言語を使ってされている。

しかしこれが日本では全て日本語で事足りてしまう。

今日は巷でよく言われるようなこれだから日本はダメだとか、英語を出来るようなりましょうとか、そんなくだらんものではなくて「日本」や「日本語」のお話

海外にいるとふと、自分が日本人(アジア人)なんだなと思うことが増えたし

日本にいると日本語を喋れるっていうことが当たり前すぎて全くスゴさを感じていなかったけれども

この大学院生活を通して昔の日本ってすげぇなと改めて感じるようになった。

鎖国が終わって明治維新の時に海外に出て行く人が増え海外から先進的な考えを学ぶようになった。ターヘルアナトミア(解体新書)とか。

その時には英語は日本語になっていなかったため全て英語の書物からそのものを英語でダイレクトに学んでいた。

今でもどの国や地域もほぼ例外なく現地語を使って生活をしているが何かを学ぶ時は英語を使った教育に変わることが多い。

それはなぜかというと現地語には存在しない意味の言葉が多く、教える際に不都合が生じるからだという。

しかし日本はそれを英語から日本語へ一つひとつ「翻訳する」という緻密な作業をしたためその必要がなかったそう。(のちにこれが日本人を苦しめるが...)

英語を使わなくても日本語で学ぶことが出来れば多くの人が情報を得ることができ多くの人が学ぶことができる。ここがとても素晴らしいことだと感心してしまう。

カンボジアで目の当たりにしたが、言葉というツールはとても大切だ。学びたくても現地語では学べない、わからないということがある。

だが、英語を日本語に訳したプロセスが日本にはある。それはイメージできる、想像できると同義ではないか。

その明治の人たちを見習ってその英語のスポーツ言語を訳していく、誰でも伝わるようにしていく作業が必要なんじゃないかとこの頃思うようになった。

今は引っ越してしまったけれど1年半ほど生活を共にしたプエルトリコ人のルームメイトが言っていたことがそういえばなんだか記憶に残っている。

Naoki! You can speak Japanese! It's awesome! (直樹!日本語喋れんじゃん!すげぇな!)

何かのヒントになるような気がしてならない。

書いた人

平出 直樹 (ひらいで なおき)

小学3年時、地元金指商店のおじさんが監督の地域サッカークラブ、ミレニアムに出会いサッカーの面白さを知る。高校3年までプレイヤーとして10年、大学時代では学生コーチとして2シーズンにわたって活躍。日本やカンボジアのプロサッカーチームでフロントスタッフを経験し現在はアメリカの大学院にてスポーツ経営学、マネジメント&リーダーシップのプログラム受講中の大学院生。2018年1月からはインターン生としてロサンゼルスにあるサッカースクールにて活動中。

ビジョン 〜目指す未来〜
ダイバーシティを通してそれぞれの価値観が共存する笑顔と感動空間の創出。
サッカー日本代表W杯優勝

ミッション 〜使命〜
世界中の子供達が独自の貴重な経験を通して夢や希望を具体的な目標に置き換え、努力することの大切さを育める環境作り

フィロソフィー 〜自己理念〜
笑顔、素直さ、挑戦

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